Run to Infinity

by Yota Nakamura /// 「自転車で世界を旅する元添乗員ライター」中村洋太の挑戦と情報発信のブログ

才能は悔しさの中にある

      2017/03/03

「悔しさを感じろ」と言われたときに、すごく違和感を覚えた。

やること全てに対して悔しさを感じられる人はすごいなあと思うけど、ぼくはそうじゃない。負けたり、失敗しても、悔しさを感じないことがある。そういうときに、「悔しさを感じろ」と強要されると、胃が痛くなる。

sponsored link

でも、頻度は少ないけど、全く悔しさを感じないわけでもない。これまでの人生で、心から「ちくしょう!」って思った経験ってなんだろうか、と考えてみたら、思い当たるエピソードが2つあった。

ひとつは、大学3年生のとき、「自転車で九州まで旅する」と友人に言ったら、「無理に決まってるじゃん」と言われたこと。やってもいない人に、どうして「無理に決まってる」と言われなきゃいけないんだと、悔しかった。絶対やってやろうという力になった。

もうひとつは、高校生のとき。サッカー部の練習が辛くて、ぼくは半年で部活を辞めてしまった。それで、周りから「洋太は根性がない」と思われることが、すごく嫌だった。実際に、ぼくは根性がなかった。でも、そう思われることに対する悔しさが、すごく大きかった。

だから、部活を辞めたときに、ひとつの目標を持った。ぼくの高校では、毎年一回、全校で行われる5kmの持久走大会があった。その持久走で、サッカー部員に勝ちたいと思った。

ぼくはスタミナがなかったから、放課後、毎日のように走り続けた。10kmとか、長いときは15km走った。今でも高校の思い出といえば、ひとりで走っていたときの記憶が一番強く残っている。「負けを認めるのは悔しいから、一年後の持久走で勝ちたい」その気持ちがぼくを動かしていた。

結果は、学年で5位。1,2位は陸上部、3,4位はサッカー部、5位は帰宅部のぼくだった。部活をやっていたときには圧倒的に遅かったぼくが、努力して、結果を残せたことが、すごく嬉しくて、その後も走ることが好きになった。些細なことかもしれないけど、その体験が今に繋がっている。道に迷う楽しさや、知らない道を走る楽しさを覚えたのはそのときで、その後の自転車旅に発展した。

根底には、常に「人を驚かせたい」という欲求がある。それが何故なのかなと、昔から疑問に思っていたけど、この2つのエピソードから気付いたことがある。

ぼくの場合、人に決めつけられることに対する悔しさが、人一倍強いのではないか。「洋太にはできない」「洋太はこういう奴だ」と決めつけられる悔しさが、「人を驚かせたい」「不可能と思われることを成し遂げたい」というエネルギーに転化しているのかもしれない。それがバイタリティーの源なんじゃないか。

何に悔しさを感じるかは、多分、人によって異なる。でもだからこそ、悔しさを感じることの中に、その人の才能が眠っているのだと思う。

sponsored link

 - 何度も読み返したい日記