Run to Infinity

by Yota Nakamura /// 「自転車で世界を旅する元添乗員ライター」中村洋太の挑戦と情報発信のブログ

失われゆく伝統工芸でジュエリーを。山下彩香さんの「攻め」の保存活動

      2017/06/03

ユニークな方に出会った。

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「EDAYA」というジュエリーブランドを設立し、代表を務める山下彩香さんだ。一般的なジュエリーブランドと異なるのは、EDAYAの製品がフィリピンの山岳先住民族の無形文化にインスパイアされているという点だ。現地の竹を使い、その土地の竹楽器や伝統的なモチーフをデザインに取り入れている。でも、どうしてこのような事業を行うに至ったのだろうか? それは、山下さんが「生まれつき左耳が聞こえない」ことと大きく関係していた。

 -01-
人間が一生懸命築いてきたもの


「左耳が、生まれつき聞こえなくて、小さい頃は悩んでいました。冗談が聞こえていないのに周囲に合わせて笑ったり。だから、小さい頃から人の表情をよく観察していました。この人は何を考えているかな~と。表情を読み取ることで情報を補っていました」

あまりに会話が自然なので、左耳が聞こえないなんて、聞かなかったらわからなかっただろう。でも、人知れずそんな苦労をされてきた。自然、大人になるにつれ、マイノリティの存在を強く意識するようになったという。

「私、昔から本が大好きなんですよ。ほとんど小説しか読まないんですけど」

「どんな小説が好きなんですか?」

「箒木蓬生(ははきぎ・ほうせい)ってご存じですか? 『閉鎖病棟』や『国銅』などを書いた。彼が小説で取り上げるのは、たとえば奈良の大仏づくりに従事した人だったり、まったく無名の人物なんですが、でもそうした無名の人たちが生きた積み重ねが歴史になっていて、現代の私たちが見ている風景になっていると思うんですよ」

聞きながら、ぼくは窓のブラインドに目をやった。ブラインドがこのような材質、このような形状になったのにも、どこかのタイミングで誰かが提案したり、誰かが開発したからなんだな、と思った。誰かは知らないけど、でも確実に、誰かがいた。身の回りの、どんなモノにも、背後には無名の人間の存在がある。

「昔から、人の人生とか歴史とか、人が作り上げてきたものが好きなんですよ。そうやって人が一生懸命築いてきたものが積み重なって、文化になっていったものには、人を感動させる力があると思っていて」

そんな、「人間が一生懸命築いてきたもの」のひとつをフィリピンの奥地で見つけたのは、偶然の出来事だった。

 -02-
フィリピンでの出会い


「海外でチャレンジする人を応援するNPOの活動に参加したんです。当時私は25歳の修士過程で、そろそろ将来の方向性を決めないとと思っていました。このNPOの活動はひとりひとりテーマを決めて旅をするプログラムだったんですけど、私は『マイノリティと芸術』というテーマを選びました。ちょうど、フィリピンの山奥で先住民族への環境教育を演劇を通して行う取り組みをしている日本人の方がいることを知り、フィリピンへ行くことにしました」

そこで出会ったのが、フィリピン・ルソン島北部の山岳先住民族のカリンガ族であり、後にEDAYAの共同設立者となるエドガー・バナサンさん(写真左)だった。

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「カリンガ族には昔から、竹で作られた伝統楽器があり、エドガーさんはプロの演奏者であると同時に、その楽器の数少ない製造者でもありました。そんなエドガーさんでも、生活の厳しさから鉱山で働いていたんです。話をするうち、彼が後継者の育成に熱い想いを持っていることも知って、何かできないかなと思い、フィリピンでEDAYAを設立しました」

「EDAYA」は、カリンガ族の言葉で「東のスピリット」を意味する。そして、「枝」が伸びるようにブランドが成長してほしい、という願いも込められている。エドガー(EDGAR)と彩香(AYAKA)、ふたりのイニシャルを組み合わさっている点もおもしろい。

それにしても、竹楽器職人の技術を生かしてジュエリーを制作しようとは、豊かな発想だ。

    


「繊細で、伝統的な竹工芸でジュエリーを作れば、これまでになかった製品を生み出せるし、伝統の保存にも貢献できると思いました。また、これまでに島根、新潟、熊本など、日本の竹のある地にエドガーさんを連れて行って、一緒にアートプロジェクトも行いました。
エドガーさんにとっては伝統に根付いた自身の工芸技術に改めて気付く機会になり、ワークショップに参加してくれた日本の人たちにとっては、竹の可能性を知ってもらったり、世界の文化に関心を持ってもらえる機会になりました

とはいえ、価値観などの違いから、商品開発には非常に苦労したという。

「最初の頃は、デザインやアイデアを伝えても、完成品は違うものになってばかりでしたが、エドガーさんが来日したとき、伊勢丹に連れていって日本の市場を紹介したり、展示会に出たりすることで、自然と日本人がどういうデザインを好むのか理解してくれて、その後は驚くほど良いデザインを提案してくれたり、こちらの意図もスッと伝わったりするようになりました」

      

 -03-
生きた証を残したい


2016年の4月から、エドガーさんは金沢美術工芸大学の研究所で、4ヶ月間の留学をしている。

「まず金沢市自体が、伝統工芸を新たな視点から世界へ向けて発信するために、様々な取り組みを行っていて、そういう意味でおもしろい場所なんです。たまたま金沢美術工芸大学に海外のアーティストを招聘する制度があることを知って、エドガーさんに来てもらいました。漆をはじめ様々な日本の伝統工芸を学んでいるんですが、これによって日本とフィリピンの伝統の融合が図れたらいいなと思っています」

日本の伝統工芸にインスピレーションを受け、エドガーさんはどんなデザインを生み出していくのだろうか。とても楽しみだ。

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「山下さん自身は、これからどう生きていきたいとか、ありますか?」

なんだかお話を伺っていると、EDAYAの活動以外にも、まだまだやりたいことがあるような気がした。

「まずEDAYAに関していえば、エドガーさんのような人に憧れる若い後継者をたくさん作りたい、という想いがあります。『職人』に対する見方というのは、日本とフィリピンでは大きく違っていて、日本では『職人さん』というとかっこいいイメージがあるし、人々の理解もあります。

でも、フィリピンは長いこと植民地支配が続いていたせいか、伝統工芸や職人に対してあまりリスペクトされていない面があります。だから、エドガーさんの背中を見て、若い人たちが伝統を受け継いでいってほしいなと思います。

今後のことはまだわかりませんが、人の適材適所を考えたときに、私はきっとファシリテーターとかディレクターが向いているんだろうなと思います。仕組みづくりですよね。モノのデザインというよりは、もっと広義なもののデザイン。時代のうねりの中で、この世の中に生きた証を残したいです」

終始笑顔で穏やかな山下さんだが、発する言葉には、力強さがある。悩みながらも、常に動き続けることで、道を開いてきた。今度はどこへ向かうのだろうか。彼女の生きた証は、きっと何百年先の世界にも、確かに存在するに違いない。

EDAYA 公式サイト

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 - インタビュー, フィリピン