Run to Infinity

by Yota Nakamura /// 中村洋太の挑戦と発信のブログ

日本語を学ぶアメリカの子どもたちに、日本について英語で授業してみた!

   

先日、サンディエゴに住むカオリさんから面白い提案があった。

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カオリさんは週に1度、アメリカ人の子どもたちに日本語を教えているのだが、

「洋太さん、今度私の日本語の授業で、特別ゲストとして子どもたちに英語で何か授業してみませんか?」

と言うのである。

出発前の記事にも書いたように、「チャレンジ」がこのアメリカ滞在のテーマであるので、引き受けさせていただいた。

1時間も英語で話し続けることができるか不安だったが、失敗しても失うものはない。とにかく、チャレンジだ。

子どもたちと言っても、中学生くらいの3名のアメリカ人。15歳の男の子と、13歳の女の子2人だ。

教室に入ると、はじめに、彼らが順番に日本語を披露してくれた。

「はじめまして。私の名前はケイトです。私は13歳です。私は今、日本語を勉強しています。よろしくお願いします」

ぼくもまず、自己紹介をした。

サンディエゴで英語を勉強中で、来月からポートランドまで自転車で旅すること。以前は旅行会社で働いていて、世界中を訪れていたこと。など。

日本について、実体験をもとに何かを話してみようと思ったときに、ぼくはこの話をした。

江戸時代にどうして「東海道五十三次」が整備されたか、という話だ。日本人でも、意外と知らない人は多い。

「東京と京都・大阪を結ぶ東海道が日本のメインロードなんだ。でも昔は、飛行機も車もなかった。せいぜい馬だ。だからここを行き来するのにはとても時間がかかった。また、たとえば今京都で大事件があったとしても、ニュースを見ればすぐにわかるし、Twitterならリアルタイムでわかる。だけど昔は、情報の伝達ひとつでも、人が移動する分のタイムラグが生じた。これは困ったと。

だから徳川幕府は最初に、東海道を整備した。この道沿いに、53のステーションを作って、それらの村々に人と馬を配置したんだ。そしてリレー形式で情報や物資を運んでいった。これにより、3日で情報を運べるようになった。ひとりで東海道を歩いたら、早くても2週間はかかるから、これは革命的なことだったんだ。ぼくは今年の1月に、この東海道を全て歩いてみた。23日かかった。本当に長かった」

そんな話を、日本地図を見せながら、英語で伝えた。割と聞いてくれたし、理解してくれた。

あとは、日本から持ってきた東京のガイドブックが役に立った。絵を見せながら、東京にはこんなものがあるよと紹介した。

「日本を旅をしていたときはどこに泊まっていたの?」

という質問があり、「だいたい漫画喫茶だよ」と答えた。

彼らは漫画喫茶を知らないから、これもまた英語で説明したら、「たくさんの漫画に囲まれて、ジュースも飲み放題で、しかもそんなに安く泊まれるなんて!」と驚かれた。「日本に来たら泊まってみな」とおすすめした。

あっという間に1時間があった。後日かおりさんからは、「洋太さん、授業良かったじゃないですか〜!私も『へー、そうなんだ〜』って思いながら聞いていました。日本語より英語の方が流暢でしたよ!」と褒めて(?)くださったのだが、思わず「ぼくの日本語はそんなに下手ですか!?(笑)」と言ってしまった。

何はともあれ、無事に終わってよかった。良いチャレンジになったし、日本語を学ぶ子どもたちの様子も見られた。とても嬉しいことだ。

この体験がきっかけで思ったのは、世界には日本語を学んでいる学生たちがたくさんいるから、各国を訪れたときに、そういう学生を訪ねたら面白いのではないか、ということ。「日本語のネイティブスピーカー」には需要がある気がする。日本語を教える代わりに、ぼくも何かを教えてもらえるかもしれない。そういうところから繋がりを作っていけば、どんな国でもなんとかなるような気がした。

「もし東京に遊びに来ることがあれば、案内するから連絡してね」

と伝えて子どもたちと別れた。

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 - 2017 サンディエゴ語学留学&アメリカ西海岸縦断自転車旅「ツール・ド・西海岸」, やってみた, アメリカ