Run to Infinity

by Yota Nakamura /// 「自転車で世界を旅する元添乗員ライター」中村洋太の挑戦と情報発信のブログ

【ツール・ド・西海岸 (番外編)】口に含ませたワインをゆっくり味わうように

   

勝手がわからず、ぼくは慌ててロサンゼルス行きの電車に乗り込んだ。自転車が、人の出入りできない貨物車に預けられることになるなんて知らなかった。それにこんな大きな電車、ヨーロッパでも見たことがない。これが「アムトラック(Amtrak)」だ。

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ポートランドからサンディエゴまで、電車で33時間かかった。東京から大阪だって3時間かからないのに、その10倍以上だ。

午後2時半に出発して、ロサンゼルスに着いたのは翌日の夜9時。そしてロサンゼルスで一泊し、さらに3時間かけてサンディエゴまで帰ってきた。

随分、遠くまで来た。電車で33時間というのは疲れるが、それでも自転車に比べたら、遥かに楽だ。寝てても着いてしまうのだから。

それに展望車に座っていると、様々な人が話しかけてくれ、そんなに飽きずに過ごすことができた。

テーブルでパソコンを開いていたら、「ねえ、トランプやりたいんだけど、テーブルシェアしてもいい?」と中学生くらいの女の子たちが3人やってきた。

そのうち「あなたもやらない?」と誘ってくれたので一緒にトランプをした。正確には、駅員さんがやってきて、「君も一緒にやったらいいじゃないか」と冗談を言ったのがきっかけだ。実にアメリカらしい。駅員さんは時折ジョークを言ってお客さんを笑わせている。

知らないゲームだったが、やっているうちにルールを覚えたし英語も学べた。ゲームの力はすごい。彼女たちは途中のサンタバーバラで降りていった。夏休みの旅行らしい。

走っている途中、「あっ」と思ったのは、見覚えのある柵が車窓から見えたからだ。

旅の6日目、サン・ルイス・オビスポからキングシティに向かっているとき、あの柵に苦しめられた。ぼくは山の中で道に迷い、なぜか線路に出てしまった。

一般道に戻るには、あの柵を越える他なかった。荷物を放り投げ、タイヤを放り投げ、最後は自転車のフレームを抱きかかえたまま、ぼくは必死に柵をよじ登った。

他の乗客は、あんな柵を見たところで、誰も気に留めないだろう。当たり前だ。しかし、ぼくにとっては、きっといつまでも忘れない柵なのだ。

そのときの記憶が鮮明に蘇ってきた。必死だった自分を回想しながら、思わず微笑んだ。不思議なもので、あれだけ辛かった出来事も、終わってみれば笑い話に変わっている。旅とはそういうものだ。ハプニングがおもしろい。

同じように、自転車で通った街の駅名がアナウンスされるたび、そこで出会った人たちの顔が浮かんできた。「今、近くにいるよ!」とメールを送ろうとしたが、やっぱりやめた。

ロサンゼルスで泊めてくれたのは、インド人のケイスだった。夜の21時に駅に着き、教えられたお店に向かうと、彼と友人のメキシコ人が食事をしていて、出会ったこともない彼らに、ぼくは手厚く歓迎された。

「なんて奴だ!お前はすごい!メキシコ料理は好きか?ビールは飲むか?さあ、食え食え」

そして彼の家で寝た。深夜まで友人たちと音楽を楽しんでいた。聴けば、元ミュージシャンなのだという。

「今は、ロサンゼルスで自転車のタクシーをやっているよ。俺は昔、シアトルから自転車旅をスタートさせて、メキシコを越えて、ニカラグアまで旅したんだ。北へ向かうとき、風が強いのはわかってる。だから、お前はよくやったよ」

と部屋に大きく飾られていた世界地図をなぞりながら話してくれた。

「いつか地中海の外側の国々を自転車で走ってみたい。ヨーロッパから北アフリカ、そしてトルコへ。もちろん、日本にも行ってみたいよ」

翌朝、彼が作ってくれた朝食をいただき、別れた。

「今度は日本で会おう」

「Thank you brother.」

サンディエゴの駅に到着し、住んでいた家に戻ってきた。

「帰るまでが遠足」という。これで本当に「ツール・ド・西海岸」の終わりだ。

本当に、素晴らしい経験をした。様々な人との出会いが、また自分の価値観を広げてくれた。「常識」だと思っていたものが、どんどん崩れ去っていき、新しい何かが生まれた。

様々なことを学んだが、「この旅はこうでした」とあっさりと結論づけるのも、なんだか違う気がする。まだ決めつけはせず、余裕を持たせたい。

口に含ませたワインをゆっくり味わうように、好きな音楽を聴きながら、もう少しこの旅の余白を感じていたい。1ヶ月前よりも遥かに強くなったサンディエゴの日差しを浴びながら、今はそう思っている。

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 - 2017 サンディエゴ語学留学&アメリカ西海岸縦断自転車旅「ツール・ド・西海岸」, アメリカ