Run to Infinity

by Yota Nakamura /// 「自転車で世界を旅する元添乗員ライター」中村洋太の挑戦と情報発信のブログ

【雑誌連載】『どこまでも道は続いている 中村洋太のヨーロッパ2000kmダイアリー』最終章

      2017/10/23

(第5章はこちら

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2010年夏、単身ヨーロッパへ自転車の旅に出た中村洋太。旅のレポートはいよいよ最終章を迎える。ドイツ・フランクフルトをスタートしてから約50日を経て、12ヶ国を渡り、総距離は2000kmに到達。だがこの長い旅路は、単なる距離と時間の集計ではなかった。再び戻ったドイツは、スタートの時のドイツとは違っていた。彼が自転車に載せて運んできた、見えない荷物とは果たして……。(編集部)

再びドイツへ

スイスのバーゼルから国境を越え、75km先のフライブルクへ向けて田舎道を進んだ。50日ぶりに戻ってきたドイツ……やはり、一度走ったことのある自転車道は落ち着くものだ。ぼくは久しぶりにリラックスして走ることができた。この旅で、同じヨーロッパでも国ごとに自転車のルールが微妙に異なることを知った。「この道は走ってもいいのだろうか」と、新しい国に入るたびに緊張したものだ。スイスでは、標識がわからないために高速道路に入ってしまい、警察に止められて注意されたことも……。

途中、自転車道が急に途切れ、行き方がわからなくなってしまった。小道に逸れ、入り組んだ小さな村で更に迷っていると、後ろからサイクリングをしているドイツ人の親子がやってきたので声をかけた。困っているとき、こうした「流れ」が必ず訪れることも、この旅で発見したことだ。

「どこへ行くんですか?」

「フライブルクさ」

「そうですか……。バーイ!」

ぼくは笑顔で手を振った。そして、距離を置いてこっそり後をつけた。彼らがフライブルクまで導いてくれる……ずいぶんと旅慣れたものだ。

それから6日後、最後の経由地であるシュテンダールに着いた。ゴールのベルリンまで130km、旅はいよいよ残すところ1日となった――。

「今年の夏は、自転車でヨーロッパを走る」。振り返れば、そう決意した2010年の1月31日からこの道は続いていた。資金もなく自転車もない、まったく無からのスタートだった。

ちょうどそのころ、新聞で「若者の海外旅行離れ」という記事を読んだ。20代の若者が、海外に興味を持たなくなってきているというのだ。海外を知るということは、日本を知ることでもあるのに……自分に何かできることはないだろうかと考えた。そして「ぼく自身が自転車で海外を走り、その感動と旅の素晴らしさをブログという手段で同世代の人間に伝えていけば、わずかでも海外に行きたくなる若者が増えるかもしれない」。ぼくはこの想いを企画書にまとめ、企業に飛び込み営業をかけ続けた。旅の資金は全て、スポンサーから集めると決めたからだ。

門前払いを食らったこともあれば、「無理に決まっているじゃないか」と批判を受けたこともあった。それでも自分の夢を諦めることはできなかった。その結果、「私の分まで旅をしてきてください」「旅のブログ楽しみにしています」、徐々に協賛者は集まってきた。学食のおばちゃんから誰もが知る大企業まで、たくさんの人が応援してくれた。そして15社からの物資提供と、300名の個人協賛を頂き、旅は実現。応援してくれた人たちの名前で作った日の丸を掲げ、ぼくは日本を飛び立った。

――朝8時、シュテンダールの街を出ると、一週間ぶりの青空が見えた。もう余力を残す必要はない。無心で、最後の自転車旅を楽しんだ。時にはゆっくりと景色を眺めながら、時には速く、風を感じながら……。

朝起きて、荷物を背負い自転車で走り、夕方は街を観光し、そしてブログを書いて寝る。そんな生活を繰り返してきた。カラダは限界に近づくも、夢だったヨーロッパの自転車旅は毎日が新鮮で、想像以上に楽しかった。たくさんの景色と人との出会いが、胸を揺さぶった。淋しい気持ちが半分、ようやく終わるという安堵感が半分。複雑な心境に、ぼくは人気のない道中で叫び声をあげた。泣いても笑ってもこれが最後の走り。これまで応援してくれた人、出会ってきた人たちへの感謝を込めて、精一杯走った。

午後5時。ベルリン市内に入った。ゴール地点と決めていたブランデンブルク門には、ベルリンに住む兄他、数人が祝福に駆け付けてくれた。用意してくれた小さなゴールテープをくぐり、中村洋太の「ヨーロッパ2000kmの旅」は幕を閉じた。

どこまでも道は続いてゆく

それから1年が経ち、ぼくは社会人になった。振り返ってみると、思い出すのはいつでも、人との出会いだ。「俺も君のスポンサーになるよ」と、10ユーロを差し出してくれたドイツ人のおじさん。言葉がわからず空腹で困っていたぼくに、パンを恵んでくれたスペインの田舎のおばちゃん。折り紙のプレゼントを喜んでくれたフィゲラスの子供たち。スペインで出会ったステファノとの、イタリアでの再会。「俺の作った自転車で日本からやってきた!」と感動してくれたBASSOの社長。たくさんの名前の知らない人たちとの触れ合いが、ぼくの旅だった。ぼくはたくさんの人の想いと一緒に走っていた。

道が続く限り、人との出会いがある。様々なことを教えてくれた自転車旅は、ぼくにとってまさに人生そのものだった。これからも、ぼくの挑戦は終わらない。また新たな出会いと奇跡と感動の旅を求めて……

そう、どこまでも道は続いてゆくのだから。

(完)『Green Mobility』Vol.18掲載

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