Nakamura Yota

中村洋太です。フリーランスの旅行ライターをしています。

大人になるにつれて本質的なものに辿り着くのだと思っていました。けれど

   

花まる学習塾 代表の高濱正伸さんが、学生時代に日記を書いていたという話をしていました。

「もやもやした思いが心の中で充満してきたら、すべて日記に吐き出していました。そうすると、すっきりする。物事が整理され、自分の頭で考えられる。これを体得すると、もう日記を書かずにはいられないんです。そうやって自分の頭で考える思考力がつきました。いわば物事に対する自分なりの答え、私の哲学ですね。そういうものに少しずつ出会うことができたという感じでしょうか」

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ぼくも高校生の頃から、同じ習慣がありました。恥ずかしくて絶対人には見せられませんが、自分の弱さを正直に書き出すことで、随分救われました。

今はブログなので、人に見られることを想定してしまい、どうしても本音をさらけ出せない場合もあります。

それにしても、高校生とか大学生の時にやっていたことが、「正解」だったなと、年月が経つごとに思います。日記の習慣に限らず、昔は良い習慣がたくさんあったし、今は悪い意味で「利口」になってしまった気がします。

一度楽な方法を知ってしまうと、戻れなくなってしまう面もあります。オーガニックではない、添加物のような習慣が、年々溜まっていきます。

社会人になってから学んだのは、「余計なこと」ばかりでした。大人になるにつれて本質的なものに辿り着くのだと思っていました。けれど実際は、生まれたときが一番本質に近かった。

子どもの頃は後先考えず、夢中になってサッカーボールを追いかけていたはずなのに、今は色んなことを考えてしまい、動き始めることですら時間がかかる。「夢中」という言葉からは遥か遠いところにいます。

夢中になるというのは、今に集中して、全力を注げることだと思います。そりゃあ、強いですよ。

夢中にならず、小手先のテクニックだけで物事に取り組むのは、相当なリスク。

意識を分散させると弱くなります。一点に集中したいです。

最近は悩むことも多いですが、しかし、悪いことばかりでもありません。

今朝、ある人の記事を書いていて、ジーンとくるセリフがあって、書きながら涙目になってしまいました。

ぼく自身、そういう気持ちで文章を書いていたのが最初だったじゃないかと、初心にかえれました。

お金のために文章を書いている。でも、それだけじゃないよねって。

自分が涙目になってしまうほどのこの言葉を、世の中に広めたい。そういう気持ちで、文章を書き始めたはず。大切なことを思い出しました。

「見たい、知りたい、わかりたいという欲望の爆発、それがルネサンスだった」と塩野七生さんは言いましたが、ぼくはそこに「伝えたい」を加えます。

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