日本に47都道府県があるように、ミャンマーには14の州がある。
ヤンゴンの北のバゴー州は重要な州のひとつとされ、今日はその州議会を訪ねた。
「第二のスーチーさん」と期待されているパパハン議員のスマホには、くまモンが。
日本のキャラクターだとは知らず、マーケットでかわいいから買ったのだそうだ。
現役の議員さんたちの案内で議会を見ていると、
議長さんが特別に会ってくれるという展開になり、議長の家を訪問した。
バゴー州議会 議長のU khin Maung Yinさん。州のトップだ。
簡単な挨拶だけで終わるだろうと思っていたら、結局1時間近く話し合っていた。議長もかつての軍事政権下では、5年間も刑務所にいたそうだ。その間、日本語をはじめ様々な勉強をしていたという。
「あなたの名前は何ですか? 私の名前はキムラです」
と日本語で冗談を言って和やかな雰囲気にさせてくれた。
「ミャンマーについてどう思いますか?」
と質問を受けたので、議員さんたちも一緒に聞いていたし、せっかくの機会だと思って感じていたことを率直に話した。
「先日、ミャンマーの教育に関する話を聞きました。
この国では、多くの学生が「勉強=暗記すること」だと思っている、という話でした。教わったとおりにやるのが正解。先生の言うことは絶対で、自分の意見を言うなんてありえない。
そういう事実を知り、衝撃を受けました。日本では、学生が先生を評価することだってあります。
日本人は自分の頭で考えることが当たり前だと思っているし、それどころか、前例のないことにチャレンジしようとします。
たとえば、ぼくは大学生の頃、自転車でヨーロッパを旅することが夢でした。
だけど旅の資金がないから、自分の夢を国の課題と結びつけて企画書を作ったんです。自分がこの旅を実現することは、日本にとって大切なことです、と書きました。
当時日本では、「若者の海外旅行離れ」が進んでいると問題視されていました。ぼくは、若い人こそ海外へ行き、多様性にふれることが国の将来にとって大切なことだと思っています。
だから、自分が海外を旅して、ブログで発信して、同世代の人たちに旅の魅力を伝えたら、海外に出たい若者を増やせると考えました。
それを企画書に書いて、協賛を募り、旅の資金を集めたのです。無名の大学生だったから最初は誰もうまくいくなんて信じていなかったし、やり方に批判を受けることもありましたが、結果的には成功しました。帰国後には新聞社からの取材も受けました。
ですが、これは些細な例に過ぎず、日本においては特別なことではありません。日本は、多くの無名の人たちのチャレンジによって、発展してきました。自分の頭で考えて、ときには批判も覚悟で前例のないことにチャレンジする人がたくさんいます。その背景には、チャレンジすることを良しとする土壌があります。その土壌を作るのが教育であるはずです。
だから教育者こそ、海外に出て、教育の現場を見てほしいと思います。他国の良いところをマネして、取り入れてほしいです。国の未来を作るのは今の学生たちだし、彼らの可能性を増大させるのが教育者の役割だと思います」
「ナカムラさん、全くその通りだと思います。あなたたちが明日スーチーさんに会えるように、私からもお願いしておきます。もし会えたら、ぜひ今の話をスーチーさんにも話してあげてください」
マティダさんが一言ずつ、一生懸命通訳してくれたおかげで、議員さんたちは頷きながら笑顔で聞いてくれた。そして、その後は色々なことをぼくに話してくれた。
「未だに書類を手書きでやっているから、電子化したい」
「ネットの通信速度が遅いから、日本の技術でなんとかならないか」
課題が山積みなだけに、可能性の大きな国だと感じた。ひとりでも多くの日本人がミャンマーに目を向けてもらえるよう、ぼくもこうした発信を続けていきたい。