程度の差はあれ、およそ「一ヶ月間」という期間が、人を「旅行者」から「生活者」へと移行させるらしい。
サンディエゴに来て間もない頃は、目に映る景色すべてが新鮮で、ワクワクし、興味深く思えたものだけど、最近では見慣れてきて、その類の感動は徐々に薄れてきた。
少し悲しくもあるが、むしろこのタイミングを待ち望んでいたようにも思える。自分が経験したことのないフェーズに突入したことを意味するからだ。
これまで海外「旅行」しかしたことのなかったぼくには、ずっと海外「生活」への憧れがあった。旅行には旅行の良さがあるが、生活してみないとわからないこともたくさんある。
残りの2ヶ月間で、生活者としての自分が何を感じるのか、よく観察し、文章にしてみたい。
ただ、もしかしたら今日が、「旅行者」の目線で文章を書ける最後の日になるかもしれないから、この一ヶ月間で感じたことを、とりわけ語学留学に関して感じたことを、鮮度の薄れないうちに書き残しておきたい。書かずにいたら、きっと忘れ去られてしまうような繊細な感情かもしれない。だからこそ、言葉で保存しておきたい。
語学学校について、当初の想像と違ったのは、ここに通う生徒についてだ。ぼくには、いずれ英語を使って仕事をしたいという目標、日本に来る外国人観光客とコミュニケーションを取りたいという目的があり、アメリカにやってきた。
きっと語学学校に通う他の生徒も、それぞれ何かしらの目的を持って英語を学んでいるのだろう。ぜひともそれについて、話を聞いてみたい、と思っていた。
しかし、徐々にわかってきたのは、そのようなハッキリとした想いを持った生徒はごくわずかで、多くの生徒はビザ取得のため、つまりアメリカ滞在権を得るために語学学校に通っている、という人が多いということだ。少なくともここにいる中国人のグループに関して言えば、「親に通わされている」としか思えず、自発的に学ぼうと意欲は皆目感じられない。
だから、生徒たちの英語を学ぶモチベーションは、全体的にそんなに高くない。少なくとも、平均的な日本人の方がよっぽど勤勉で、真面目に授業を受ける。お菓子を食べながら授業を受けている光景はなかなか新鮮だった。すべてが文化なので、ぼくはそれを良いとも悪いとも判断しない。あくまでニュートラルな(中立的な)立場で観察し、現実として受け止める。
しかし、ぼくには、それとは別に感じている楽しさがある。様々な国の人々が、小さな教室に入っていることだ。サウジアラビア人、ブラジル人、トルコ人、タイ人、中国人、ベトナム人、リビア人、イタリア人、韓国人、イタリア人、アルゼンチン人、そして日本人。それぞれのバックグラウンドが色濃くぶつかり合う。単純にそれだけで、日本ではなかなか味わえない、貴重な体験をしていると感じる。
英語を勉強しに来ているのに、こんなことを言って申し訳ない。ただ、ぼくがここへ来てみて肌で感じたことは、異国の人とコミュニケーションを取るうえで、英語以上に大切なものがあるということだ。
それは「何かを伝えたい」という気持ちである。情熱は、言語を超越する。自分がやりたいことについて、間違いだらけの英語で一生懸命話したときに、クラス中が静まり、視線が集まり、みんながすごく真剣に聞いてくれたときがあった。聞き手の態度や関心が、ぼくの英語の拙さを補ってくれた。そうか、コミュニケーションとは、一方的なものではなく、相互作用なのだとわかった。お互いに感じ合い、感じ取るものなのだと気付いた。
この体験をしてから、ぼくの中で、「正確な英語を学ぼう」というモチベーションは幾分消えた。そもそもみんな、ひどい訛りだし、間違いだらけの英語でも自信を持って話している。それでちゃんとコミュニケーションが取れているから、間違いを恐れて何も話さないよりはよっぽど良い。
今の英語力でも怖じけずに、とにかく話す練習をしようと思った。もちろん、もっと語彙は増やしたいし、簡単な文法を忘れていて、もどかしく感じるときも多い。でもそれは日本に帰ってからでも勉強できること。それよりも今は、英語に囲まれた環境を生かしたい。
そして英語以上に興味があるのは、自分が感じるあれこれ、日本人としての感性が、どこまで世界で通用するのか、ということだ。たとえば自分の生き方や考え方は、海外でも興味深く思われるのだろうかとか、逆に外国人はどんな生き方や考え方を持っているのだろうかとか、そういうことをぶつけ、感じる時間にしたい。
ぼくが欧米人たちから学んだのは、彼らが何事においても自分の意見を持っていて、それを主張するということだ。それに関しては太刀打ちできず、自分が情けなく感じた。クラスでフランス大統領選の議論になったときに、いかに自分が、国際情勢や政治・経済について疎いか、意見の対立を恐れているか、そもそも自分の意見を持っていないか、まざまざと感じさせられた。
国際人として、ぼくは圧倒的に勉強不足だ。日本という小さな島国の、小さなコミュニティの中で「中村さん、文章上手ですね」などと言われて、小さな満足に浸って人生を終えるのか。それともガムシャラにでも、世界というフィールドで生き抜いていきたいのか。どっちの人生が、より「エキサイティング」な人生になりうるだろうか。答えはわかっているはずだ。
日本に住んでいたとしても、世界を股にかけて生きていくことはできる。これは、気持ちの問題だ。自分がどう生きたいかという選択の問題だ。ぼくは日本人として以前に、ひとりの人間として、この世界で生きていきたい。日本は大好きだけど、たまたま日本で生まれただけだ。その気持ちは、昔からずっと変わらない。
世界は広い。ひとりの人間として、ぼくの生き方・考え方は、21世紀のこの世界と人々に、どのような影響を与えられるだろうか、歴史の中で自分が果たす役割は何なのだろうかと、サンディエゴに来てから、ときどきそんなことを考えている。
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