ツール・ド・九州 最終ステージ(第7ステージ)
福岡県飯塚市~博多駅~福岡県糸島市
走行距離74km
朝、ありさが朝ごはんを用意してくれた。本当にお世話になりました。
外は昨日にも増して、雨が強かった。途中から降りだしてくるなら諦めもつくけど、最初から降っているなかを出発するのは、精神的に辛い。
しかし、「出発は明日にするか」とはならない。学生ならいいが、限られた休みしかないサラリーマンだ。行かなくてはいけないのだ。一歩を踏み出すまでは億劫だけど、踏み出してしまえば案外前へ進めるものだ。
(とはいえ、そんなサラリーマン人生ともおさらばして、「出発は明日にするか」と言いたいのが本音だ)
山道に入り、雨は強くなる一方だった。「強い」というひと言では、強さの度合いは伝わらない。
毎日何十枚も写真を撮っているぼくが、今日は走行中たったの1枚しか撮らなかった。あるいは、立ち寄ろうと楽しみにしていたラーメン屋さんに行くのを諦めざるを得なかった。
「そのくらい雨がヒドかった」と言うほうが、度合いが伝わるかもしれない。ずぶ濡れで、目もまともに開けられないし、寒いし、早く着きたかった。
大好きなラーメンよりも、早く着く方が優先だった。心が折れそう、というか、折れていた。ただ、ここで止まっても濡れるだけだし、走るしかないから走っていたというだけだ。こんなに辛い自転車旅は初めてだった。先週の猛吹雪がかわいく感じられた。
あまりに辛いから、ぼくは一度「死んだ」ことにした。というのも、「生きている」ことを前提条件としているから、辛いのだ。カバンが濡れる、お尻が濡れる、寒い、辛い、あれもやだ、これもやだと不満が溢れる。
でも、一回「死んだ」と思えば、まず「生きている」こと自体にありがたみが感じられる。生きている、それだけで儲けもんだ。服も着てる、靴も履いている、あれもある、これもある、という意識に変わる。濡れるのがなんだ。濡れているだけじゃないか。寒いのがなんだ。寒いだけじゃないか。ゆっくりでも、ちゃんと前に進んでいる。大丈夫だ。
峠を越えた。下ったら福岡市内だ。博多駅まであと10kmもないが、お昼になってしまったので、コンビニでカップラーメンを食べてから、再び出発。
そしてついに、ゴール地点と決めていた博多駅に到着した。
自分の人生に悩んで、この旅を始めた。
(自転車旅をしながら考えていれば、何かヒントがつかめるかもしれない)
何もつかめなかった。吹雪や雨で、悠長に物事を考えるどころではなかった。
(おっと、20m前方が凍結している!しかしあれを避けて右側に出ると後ろから来るトラックに轢かれてしまう!急停止だ!!ストーーーップ!!)
そんな思考の繰り返しでは、大切な将来のことについて考える余裕はない。いったい自分は何をしているんだろう、と思ったりもした。自転車旅は趣味なのか?あるいはライフワークにしようとしているのか?なんなんだ?
ただ、達成感はあった。「自転車で九州を一周する」というシンプルな目標を掲げて、達成に向けてまっすぐ進む。吹雪だろうが、大雨だろうが、関係ない。どんな手段を使ってでも、ゴールしようと試みる。
たとえば2日目の朝の判断が、この旅を決定づけた。窓の外は一面の雪。ぼくの頭の中には、「雪の上は自転車を走れない」という知識があった。だけどその知識は、自分自身の体験が伴っていない知識だった。だから、試してみる価値はある。本当に走れないのか? と。
試しに、雪の上を走ってみた。そしたら、意外と走れるじゃないか。確かに車が踏み固めて、完全に凍結したら、滑りやすく、走りにくい。でも、降ったばかりの状況なら、走ることができる。実際にやってみて、初めてわかったことだ。
体験の伴わない知識が、体験の伴った知恵に変わった。ぼくはその日、雪上を87km走って熊本まで行った。もしも「雪だから電車で移動しよう」となっていたら、この旅はまったく別の旅になっていた。
雨だから行かない、雪が積もってるから無理、ではなく、どうしたらできるか、どうすれば乗り越えられるかと思考して、目標に辿り着こうとする姿勢。これが大切なんじゃないか。
また、逆境は主題を際立たせる。毎日晴れていたら、当然もっと楽に旅できていただろう。でも、物足りなかったかもしれない。ゴールした今は、最悪の天候こそが、最高の舞台環境だったと思える。乗り越えるたびに、自信もついた。
7日間の全走行距離は、640kmだった。東京~広島の直線距離が680kmだから、結構な距離を走ったことになる。意外と、走れるものだ。体力は昔に比べて衰えているけど、状況の悪い中で、ここまで走れるとは思っていなかった。自分の可能性を知れたことも、貴重な体験になった。
もうひとつ、嬉しかったことがある。
昨日ゴールした投稿を、まったく知らない方にシェアされていたのだが、その内容に嬉しくなった。
「俺はこの人に憧れて東京から福岡まで自転車で旅をしました」
「誰かのため」とか「社会のため」とか、そんなこと考えていなくても、好きなことに全力で取り組んだとき、結局は誰かに良い影響を与えているのかもしれない。
自分の知らないところで、自分に関わる物語が生まれていたということ。あるいは、これから生まれるかもしれないということ。それを知れたことを、ひとまずの旅の結論にしたい。
挑戦は続く。