ツール・ド・九州 第6ステージ
大分県大分市〜福岡県飯塚市
走行距離134km
今日は長丁場だから、朝7時に出発。花田くんも一緒に家を出て、ランニングに行った。爽やかだ。泊めてくれて感謝!
ちなみにこれは大学4年生のときの花田アナウンサー。ぼくの旅にも協賛してくれ、旗に名前を書いてくれた。
飯塚に向けて出発すると、すぐに雨が降ってきた。そのうち止むだろうと思っていたが、結局最後まで止むことはなかった。130kmという距離に加え、降り続ける大雨。これが辛かった。
吹雪よりも、よっぽど辛かった。雪はふるい落とせば落ちる。でも雨はジワジワと時間をかけて染み込んでくる。防水可能な範囲を超えると、下着から足底までぐっしょりと濡れ、どんどん体温を奪い取られていく。
軽い山道を越えて、宇佐、中津を通り過ぎた。
中津は福沢諭吉の故郷だ。
そしてこのあたりで、出発からの走行距離が500kmを超えた。
70km走ったあたりの道の駅でお昼ご飯を食べた。食器を返却すると、おばちゃんに話しかけられた。
「あんた自転車?どこまで行くの?」
「飯塚です」
「どこから?大分市?ひゃー、この雨の中」
「冷えました」
「あんたコーヒー飲める?」
「大好きです」
「インスタントコーヒー入れちゃる。そこでちょっとあったまってき」
寒いけど、温かいやりとりだった。残り65km。頑張ろう。
話は変わるが、大学4年生のとき、「100kmハイク」という早稲田の名物行事に参加したことがある。本庄から早稲田まで、100kmを2日間かけて歩く、ただそれだけの行事。一見無意味(そう)なことに、バカみたいに本気で取り組むのが、早稲田の大好きなところだ。
2日目は足が痛くて辛かったけど、先頭集団から離れないように頑張って歩いた。高田馬場に戻ってきたとき、学部も異なる同士たちと、肩を組んで喜び合った。そして早稲田の校歌を高らかに歌いながら、早稲田通りを歩いた。ぼくの大学生活の良き1ページになった。
ゴール後、閉会式があった。100kmハイクに縁のある先生が登壇して、完歩した学生たちに言葉を贈るのだが、そのときのひと言が、今でも忘れられない。
「皆さん、辛かったでしょう。でも、いいですか? 逆境に強いのが、早稲田です!」
「そうだー!」と、学生たちは歓声をあげた。そのシーンが、脳裏に焼き付いている。
逆境に強いのが早稲田。苦しくなったとき、何度もこの言葉を思い出している。
今日もそうだった。雨の中、本当に辛かった。くじけそうになる。投げ出したくもなる。
でも、「逆境に強いのが早稲田だ」と自分に言い聞かせて、奮い立たせて、走っていた。早大OBとして、こんなところで負けちゃいけない。
休憩し過ぎると寒くなるから、後半はほとんど休みを取らずに走った。
大型トラックとの闘いもあった。
五郎丸とは圧倒的な体格差。南アフリカ代表を彷彿とさせるこの巨大な車体が、五郎丸の50cm横のジャパン・ウェイをすごいスピードで通り過ぎていく。風圧に押されることもあるし、跳ねた水しぶきがシャワーのように全身にかかることもある。道幅が狭くなると、とくに怖かった。
残り30kmは、本当にやばかった。寒さで足が麻痺してきた。なんとか意識を保ちながら、耐え忍んだ。限界が近いのは確かだった。
17時過ぎ、新飯塚駅に着いた。命拾いした、という感覚だった。
そこに友人が待っていてくれ、写真を撮ってくれた。ありさは中学の同級生で、今は結婚して飯塚に住んでいる。今夜は泊めさせてくれた。
夕食は、ありさの友人も交えて、もつ鍋。お店で食べるよりもおいしかった。久しぶりに色々な話ができてとても楽しかった。
夕食後、まったく別の知人である翻訳者の上尾さんと会うことになった。福岡に住んでいることは知っていたが、まさか飯塚に住んでいるとは。せっかくなのでご挨拶に。おいしいあんみつをご馳走してくださり、短い間だったけど会話が弾んだ。
明日で、旅が終わる。ツール・ド・九州、最終ステージだ。博多まで距離は短いものの、大雨との予報が出ていて、大きな峠もある。最後まで油断せず、この波乱万丈の旅を締めくくりたい。五郎丸、もう少しだけ頑張ろう。
挑戦は続く。