自転車でアメリカ西海岸縦断の旅
ツール・ド・西海岸 第17ステージ
ゴールドビーチ(Gold Beach)〜 バンドン(Bandon)
89km
まずは映像をどうぞ。
目次
立ちはだかる壁には理由がある
あなたは、下り坂で立ち漕ぎをしたことはあるだろうか。おそらく経験のある人は少ないと思う。ぼくですら、今日初めて経験するものだったからだ。
オレゴン州に入り、向かい風があまりにも強い。風の強さを言葉で表現するのは難しい。仮に「風速何メートル」と事実を伝えたところで、実感は湧かないだろう。
想像してみてほしい。下り坂ですら、立ち漕ぎをしないと前に進まないほどの風の強さを。ある区間は、自転車にすら乗っていられず、押して歩くのが精一杯だった。
それがしばらく続き、今日もぼくの心は折れかけた。というか、折れていた。
まさかここまで風が強いとは思っていなかった。カリフォルニアですら発狂していたが、この向かい風がまだ100kmも続くと思うと、もう全てが嫌になる。
この逆境は、この壁は、何のためにあるのだ。
「思い出してください。壁にぶつかったら、その壁にはかならず理由があるということを。
壁は夢を諦めさせるためにあるのではありません。私たちがどれほどその夢を達成したいか、その本気を示す機会を与えるためにあるのです」
それをぼくに教えてくれたのは、余命半年を宣告されたカーネギーメロン大学のランディ・パウシュ教授だった。彼の「最後の授業」は、名スピーチとして人々の記憶に刻まれている。
立ちはだかる壁には理由がある。この風は、ぼくの本気度を試しているのだ。そう考えれば、乗り越えられる。
「知らない」ことのメリット
ただ、もしもこれほどの風の強さだと事前に知っていたら、やっぱりぼくは南下するルートを選択していただろう。二度と味わいたくない。
途中の休憩所で出会ったポートランド出身のフォレストさんは、サンフランシスコに向かって南下していた。
「この風の中を北上しているのか!勇敢だな!」
「やっぱり南下していると追い風を受ける?」
「ああ、登り坂でも風が突き上げてくれるよ!」
羨ましい。。。
しかし、これでいいのだ。知らなかったから、今こうしてポートランドへ向かっている。「知らなかったからできた」「知っていたらやらなかった」という体験は、多い方がいい。人間、一度知ってしまったことを、知らなかったことにはできない。だから、貴重な体験だ。
「俺がいたら、ポートランドで泊めてあげられたんだけどなあ!」
「大丈夫だよ、ありがとう!」
小さな村のコーヒー屋さん
風も辛いが、寒さも辛い。昨日から、4枚着込んで走っている。ついこの前までは30℃あったのに、朝は10℃まで下がる。
だからより一層、温かいコーヒーが飲みたくなる。
ラングロワという小さな村を通っているとき、気になるコーヒー屋さんがあった。「Floras Creek Coffee Co.」というお店。なぜ気になったのかは、わからない。行かなくても良かったのだが、なぜか無性に行きたくなり、吸い寄せられるように自転車を止めた。
しかし、お店の入り口まで行って、気付いた。
(なんだ、15時で終わりか)
すでに15時半。中に人はいるのかな、と覗いてみると、清掃中の女性と目が合った。そして、「入っていいわよ」というジェスチャーを送ってくれた。
店内は、人口175人の村にはもったいないくらいおしゃれだった。
「もう閉店だけど、少しなら大丈夫よ。何を飲む?」
「ありがとう。ドリップコーヒーをください」
「ミルクは?」
「いらないです。ブラックで」
コーヒーをすすりながら、話をした。
「このお店はいつからあるんですか?」
「今年よ。今年の2月にオープンしたばかり。母がカフェをやりたいと言って始めて、私はヘルプで来てるの。コーヒーの経験があったから」
とくにどうってことのない会話かもしれない。しかし、このようなとりとめのない会話でも、毎日積み重ねていくと、ぼくの中で「アメリカ像」というものが、確かにできてくる。
生の会話から得られた知識は、「一般的にこう言われている」「アメリカ人はこうだ」と記事やテレビで知ったものとは、異なることがある。それも物事をニュートラルに見るうえで大切なことだ。
ぼくが得ているのは、極めて個人的な体験から生まれた断片的な情報だが、いずれも紛れもない事実であって、推測ではない。これこそが価値だと思っている。
ライターにとって、全ての事実はネタになる。だから印象的な出来事を忘れないように、メモしたりSNSに投稿したり、何かしらの方法で記録している。時間が経ってから生きる場合も多い。
「ここから先は、森が風をブロックしてくれるはずよ!頑張って!」
バンドンに着いた。ポートランドまで、あと4日。