ミャンマー滞在初日、早速奇跡が起きた。
ヤンゴンプレス編集長 栗原富雄さん
ヤンゴンのマーケットをブラブラと歩いていると、偶然、日本語で書かれた新聞が目に入った。
『ヤンゴンプレス』という、日系情報紙だ。
ぼくはこの新聞の存在を知っていたどころか、編集長の名前まで知っていた。一緒にいた友人にふと漏らした。
「編集長は栗原富雄さんという方なんだけど、この方に会いたくて日本で調べてみたけど、どこへ行けば会えるのかわからなかった」
「え、ヤンゴンプレスって、事務所この近くですよ。行ってみますか?」
「本当に? 行ってみたい」
そして事務所に行くと、なんと本当に栗原さんにお会いできた。しかし、向こうはぼくのことを知らないのだから、当然キョトンとしていらっしゃる。ぼくはここに至るまでの経緯を話した。
「栗原さん、高校生のときに世界一周の旅をされていますよね」
「ええ」
「それで、帰国後の1968年に本を出版されましたよね。『高校生世界ひとりあるき』という」
「私の最初の本です。よくご存知ですね」
「私その本を持っているんですよ!」
「ええ!? あんな古い本をよく。私ですらもう一冊も持っていませんよ(笑)」
「栗原さん、高校のとき、別のクラスに関和男さんっていらっしゃったの覚えてますか?」
「ええ、いましたね」
「実はその関さんが、2年前にわざわざ郵送で送ってくださったんです。『中村くんに読んでもらいたい』と」
憧れの旅人、関和男さんのこと
最初に関和男さんを知ったのは、ぼくが大学3年の頃。当時流行っていたmixiでたまたま関さんのページに辿り着き、彼の膨大な海外旅行の記録にふれ、「いったいこの人は何者なんだろう」と思ってメッセージを送ったのがきっかけ。関さんは1990年から、仕事の傍ら、毎年のようにヨーロッパを旅していた。
そして彼のサイトには、旅日記が詳細に書かれていて、そのひとつひとつの日記を読んで、ぼくはヨーロッパへの憧れを強くしていった。関さんが旅する場所は、かなりマニアックな街が多く、それがまたぼくの好奇心をそそった。そして日記の内容がとても面白かった。どうしてこんなに文章が上手なのだろうと。関さんの旅日記はぼくのお手本だったし、彼の影響で訪れたヨーロッパの町もある。
ちなみに彼は作詞家としても大変ご活躍された。子どもの頃にNHK教育テレビで「さわやか3組」という番組があったが、その「さん、さん、さん、さわやか3組〜♪」という歌を作詞された方だ。
2014年10月、ぼくは「お話を聞かせていただけませんか?」と誘い出して、初めて関さんにお会いした。渋谷の素敵なバーに連れて行ってくださり、たくさんの話を聞かせていただいた。
「旅に目覚めたきっかけは何ですか?」という問いかけに対する答えが、最も印象的だった。
「1968年、高校3年のいつ頃だったか詳しく覚えてないが、隣のB組に転入生がひとり入ってきた。名前は栗原富雄くん。僕たちよりも2歳年上だった。
栗原くんは一度高校を中退し、ナホトカ経由のシベリア鉄道でヨーロッパへ渡り、さらにアメリカを回ってひとりで世界をヒッチハイク旅行してきた。そんな強烈な生き方をした高校生が、隣のクラスにやってきた。それは普通の受験生である僕たちにとって強烈なショックだった。
栗原くんは在学中、自分の体験をまとめて本を出した。タイトルは『高校生、世界ひとりあるき』。本は僕たちの周りで一躍ベストセラーになった。僕も夢中になって読んだ。読み進む内に、いつかヨーロッパかアメリカを、栗原くんのようにヒッチハイクしながら旅してみたいと思った」
ぼくは胸を躍らせて、このお話を聞いていた。1968年に、世界一周した高校生がいたなんて!(高校生としては日本人で初めての人らしい)しかも高校生が本を出版するなんて! 読んでみたいなあ、と思ったが、もちろんとっくの昔に絶版になっている。
なんと関さんはぼくと会った後、この本を古本屋さんから取り寄せ、再読した。そしてある日突然、ぼくに送ってくださったのだ。
「以前紹介した本を、いつまでも僕の本棚で眠らせておくのはもったいないから、中村くんに送りたい」
本の内容は、驚くべきものだった。本当に高校生なのだろうか、と思うほどの文才と、恐るべき行動力。沢木耕太郎の『深夜特急』を思い起こさせる文章だった。編集者である兄に読ませたところ、すぐに夢中になって、「これは今復刊しても面白いかも」と一言。
読み終えてから、栗原富雄さんって、今は何をされているんだろうと気になった。ネットで調べてみると、
「ミャンマー初の日本語新聞『ヤンゴンプレス』を発行」というニュースが出ていた。
へ〜、今はミャンマーにいらっしゃるんだなあと、2年前に知った。
その方が、目の前にいる。
少なくとも「旅と文章」というテーマに関しては、ぼくは関和男さんに影響を受けている。その関さんも、栗原富雄さんが隣のクラスにやってこなかったら、旅をしていなかったかもしれない。そう思うと、不思議な縁を感じる。
短い間だったが、貴重なお話を聞かせていただいた。
「中村さん、うちで働きませんか?」
と別れ際に言われたのがとても嬉しかった。