サンディエゴで暮らしていて、先日ふと、こんな疑問が浮かんだ。
・日本人のゆとりのなさって、何に起因するのだろうか?
もちろん、日本人でもゆとりを持って生きている方はいらっしゃるので、「日本人」と括るのは不適切かもしれない。ただ、海外の人々と比べたときに、全体の傾向として日本人のせわしなさは確かに感じている。
もっと自分に当てはめて言えば、こういう疑問になる。
・日本ではどうしてもせかせかとした生活を送ってしまっていた自分が、サンディエゴではなぜ、自然とゆとりを持てて生活できているのだろうか?
夕食を食べ終わり、食器を洗いながら浮かんだ疑問だった。日本にいたときは、自分で食事を作ったり、食器を洗ったりすることすらも時間がかかるし面倒に感じていた。
なのに今は、いたってストレスなくできているため、それが不思議で仕方なかった。それ以外にも、家でリラックスする時間が増えたり、自分的には驚くほどのんびりと過ごしている割に、仕事もそれなりにこなせている。
環境が無意識に与える影響ってこれほどまでに大きいのだろうか。一体何なんだろう?
という投稿をSNSでしたところ、様々な方からコメントをいただいた。
どれも頷けるものだったので、ご紹介しながら考察していきたい。
目次
サンディエゴではどうして「ゆとり」を感じられるのか?
・他者の視線を感じたり、空気を読んだりする必要がないから?
「プレッシャーと心の持ちようと周りの空気」
「(アメリカは)周りと比べる必要がないからかな。みんな違って当たり前な国だから。それに気を使って空気を読みすぎることがない。本音と建て前がない」
「同調圧力。他者を意識しすぎる。人によく見られたいとか、肩書きとか」
似たようなご意見を3ついただいた。共通するのは他者の視線。
ぼくはサンディエゴで、服装とか、ほとんど気にしていない。日本だとこの格好じゃ外に行けないな、という格好でも出かけられてしまうのは、みんな他人のことを気にしていないから。
街を歩いていると、本当に勇気が湧いてくる。こんなに自分を表現していいんだなって。個性的なファッションは、日本では奇妙に見られるかもしれないが、こちらでは「Coolだね」となる。少なくとも、「何あの格好〜」と冷ややかな目で見る人はいない。良い意味で、誰が何を着ようと、どうでもいいのだ。その人が良いと思えば、良い。
・お金を使う立場か、稼ぐ立場かの違いでは?
「お書きになっているご自身のケースについては『お金もらってるか払ってるかの違い』と私は考えています。お仕事もなさっているとのことですが、それは最優先のことでしょうか。お金使ってる分にはのんびりできるのでは。仕事となったらそうは行きません。それはよいことでもあると思います。しかし、ご商売されていてもゆとりのある方もいらっしゃるので、それが何の違いなのかはわかりません」
確かに、ぼくが少し特殊な立場に置かれていることを考慮する必要があった。基本的に平日は、午前に語学学校へ通い、午後はブログを書くという生活だから、会社員のようなプレッシャーはない。もちろんブログを書くのが半分仕事だから、まったく楽なわけではないが、自分のペースで進められる良さはある。ルームメイトの友人は語学学校で働いていて、やはりそれなりにプレッシャーを感じている模様。
ただ、そんな彼でさえ、日本の会社員と比べて、リラックスしているのは否めない。17時頃に仕事を終えて、車でささっと帰ってくる。「日本人は働きすぎ」とよく言うが、こちらにいると、それを実感する。
10年以上サンディエゴに暮らす別の日本人の方から聞いたエピソードがある。平日の朝、サーフィンをしにビーチへ行ったら、ある弁護士の男性と出会ったという。その弁護士の方はてっきり休みでサーフィンをしに来ているのかと思ったら、「このあと10:30からミーティングがある」と言われたのだと。仕事前にひと波楽しむというのも、およそ日本人からしたら考えられない感覚だった。
・大都市と小都市の違い?
「日本、外国という分類ではなく、大都会と小都市という分類で考えてみてはいかがですか? 大都市では、娯楽も多く、街自体の機能が広範囲に分散しているため、移動に時間がかかり、どうしてもせかせかしてしまいます。一方で、小都市に住んでいると、やれることが限られてくるため、自然とひとつひとつのことに集中できます。自分の経験を基に感じたことですが」
これは非常におもしろいご意見だった。サンディエゴにいると、いかに東京が娯楽の多い街だったかを実感する。日本でも地方都市に暮らせば、同じような感覚になるのかもしれない。以前、地方に暮らす美術好きの方が言ってたな。「東京の美術館では常に良い展覧会が行われてて羨ましい。ときどき複数の展覧会をまとめて見るために飛行機で東京へ行くわ」と。暮らしていると忘れてしまうが、仮にも世界的都市TOKYOなのである。すごい街だ。あと、美術展のために4時間並ぶとかも、日本特有のことかもしれない。
サンディエゴは、休日といえば皆一様にビーチへ行く。他に何していいのかわからないから、のんびりしてしまうのかもしれない。
そして、「移動に時間がかかる」というのも、東京では大きなストレスになっていた。アメリカは完全な車社会なうえ、日本でいう高速道路が無料のフリーウェイであるため、一瞬で目的地までたどり着ける。ちなみに素晴らしいビーチまでも15分で着いてしまう。それも大きな魅力だ。
こうして考えてみると、確かに都市の規模による分類は頷ける。
・天気や気候の影響もあるのでは?
「単純ですが、天気も一因かもしれないと思いました。カリフォルニアの天気により、街の雰囲気がリラックスしてきて、結果影響される等。日本でも沖縄は東京よりは街の雰囲気はリラックスしてたかなーと」
それも確実にある。海外添乗員時代、アラスカやタヒチへも行ったが、気候と人々の性格の密接な関係を感じた。あとは、ハワイで感じた心地良さも気候の要因が大きかった。一方でロンドンはいつも曇り空で、人々の表情も暗めだった。
日本の気候はどうかな。春や秋は比較的過ごしやすいけど、真夏の暑さや真冬の寒さは厳しい。そして梅雨の時期は少なくとも、「リラックスできる」という感じではないかな。湿度の違いも大きいかも。
・「日本の環境資源の少なさ」によるもの?
「僕もベルリンで同じようなことを考えますが、ひとつは「日本の環境資源の少なさ」なのかなと。その割に経済規模が大きいので経済が人的労働力に依存する→しかし日本人の生産力はそれほど高くないので残業が多くなる→個人の自由な時間が減る→せかせかする…的な。あくまで原因の一端ですが」
ご意見くださったのは、ベルリン在住のイラストレーター・漫画家の高田ゲンキさん(彼のブログ漫画はおすすめ!)。これも非常におもしろい考察だと思った。
日本人の残業の多さは、異常だ。最近は一部の大企業が公表されたりしているが、無数にある中小企業はほとんど無法地帯だろう。
サービス残業も未だに多いだろうし、さらに休日出勤が常習化していたら、それはゆとりがないのも当然。残業問題に関しての個人的な意見は、外国人スタッフを数名雇うこと。彼らは定時になったらスパッと帰る。「自分は仕事終わったけど、みんなまだ残ってるから、帰りづらいな」なんて発想はない。家族との時間や、趣味に使う時間も、大切じゃないか。多くの日本人は、外国人のそうした姿を見て、「ああ、それが当たり前なんだ」と気付く必要があると思う。
「残業を減らそう、なくしましょう」と取り組んでも、一時的なもので終わってしまう場合が多いと思う。本気でなくしたいなら、外国人を雇えばいいのに、といつも思う。
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さて、これらのご意見は、ぼくのTwitterとFacebookにいただいたコメントなので、まだまだ考えられる要因はあると思う。ただ、ここに挙げたものは、要因としてどれも正しくて、これらが複雑に絡み合って、「(海外と比べた)日本人のゆとりのなさ」が生まれていると感じる。
「それは違うんじゃないか」あるいは「こういう要因もあるんじゃないか」など、ご意見があれば追記していきたいので、TwitterやFacebookでぜひコメント等よろしくお願いします。