自転車に異変が・・・
実はバレンシアを出たときから、自転車の様子が少しおかしかった。変速機が正常に作動せず(しかも両側)、軽いギアに移り変わらない。何度かタイヤを外していたので、その時のチェーンの入れ方が悪かったのかもしれない。平地を走る分にはまったく問題ないのだが、上り坂は軽いギアでないと登れない。
バレンシアからの道は幸いにも平地しかなかったが、バルセロナの先には最初の難関、ピレネー山脈が待っている。それを乗り切るためにも、バルセロナでちゃんと自転車を直していかなければいけない。パンク修理程度なら自分でもできるがコンポーネント系の故障はお手上げなので、自転車屋さんに見てもらうことにした。「明日か明後日までかかる」と言われたが、旅の安全が第一なので、修理が終わるのを待つことにした。
幸いにもここはバルセロナ。「世界一」と言っても過言ではないくらい見所の多い街だ。読者の方々の中にも、憧れている人は多いハズだ。自転車が直るまでの時間しっかりと観光をして、読者のみなさんにバルセロナの魅力を存分に伝えたいと思う。
まずはモンジュイックの丘へ。正面に見えるのはカタルーニャ美術館。
ロマネスク、ゴシック、バロック、ルネッサンス美術の貴重なコレクションを所蔵している。
モンジュイックの丘からの見晴らし。とても眺めが良い。
そして、楽しみだったミロ美術館も、このモンジュイックの丘の上にある。
美術館のデザインも、いかにもミロらしい形だ。ミロの絵がもともと好きだったわけではない。この旅行中、いくつかの美術館を訪れる中で、ミロの絵に興味を持つようになった。
ミロの絵を眺めていると、いつも「マネをすれば、ぼくでも描けるな」と思ってしまう。まるで小学生の落書きのような絵だってある。ミロ美術館では、ミロ本人の写真があった。「こんな絵を描くなんて、どんな変人なんだろう」と期待したが、まったく普通のおじさんだった。それまでの画風とは明らかに異なるから、きっとミロが最初にこのような作品を世に出したときは、かなりの批判をされたのではないかと思う。それでも信念を貫いて同じような作品を描き続けたから、ぼくはミロを尊敬している。
最初は「なんだこれ」と思ったが、慣れてくると味が出てくるもので、やはりミロの絵は素晴らしいと思う。色遣い、そして一本一本の線がとても繊細で奇麗だ。ミロワールドにどっぷり浸かり、満喫した。
モンジュイックの丘を降り、次に行ったのはピカソ美術館。ピカソの絵にもまた、興味があった。ピカソ美術館では、年代順に作品を見ることができ、作風の変遷の様子を感じることができた。
ぼくは絵に詳しくないので、ピカソというと「変てこな絵」という印象が強かった。だけどそれは後期の絵。ピカソの絵は早くから成熟していて、10代のうちにすごい作品をバンバン描いてしまっていたのだ。
「この絵をピカソが描いたのか・・・」と、ずいぶん印象が変わった。こんな素晴らしく細かい描写がたくさんあった。どうしてあのような作風になったのかはよく知らないが、すごい画家なんだと思った。
バルセロナの市街地には、こんな小道がたくさんあった。
これは世界遺産のカタルーニャ音楽堂。彫刻がすごい。
夜はお世話になっているくみかさんの旦那さん(スペイン人)に誘われて、スペイン人と3人と食事に行った。
陽気で気さくな人たちだった。
ブラジル人がやっている手巻き寿司屋さんに連れて行ってくれた。
日本を出て以来初めて食べた日本食。おいしかった。日本食が恋しい・・・
お腹いっぱいになって、「ようやく帰れる」と思ったら、
飲み屋を2軒回る・・・
お酒と夜更かしが得意じゃないので、「早く帰りたいなぁ・・・」とも思った。しかし夜中の2時頃にも関わらずガヤガヤと盛り上がって騒がしいバルセロナの街を歩きながら、「これもスペインの文化なんだなぁ」と感じて、吹っ切れて夜を楽しんできた。観光地巡りをするよりも、その国の文化や習慣を感じることの方が大切なのかもしれない。ことに日本人にとってはなおさら。
有名場所だけを駆け足で、それも1日とかで回ろうとすると、現地の人に「typical Japanese」と言われる。「典型的な日本人」というわけだ。確かに、「ガイドブックに載っている場所だけを巡る」というだけの日本人の観光の仕方は少し問題があるのかもしれない。日本人は、せっかく外国に行って、何を知って帰ってくるのだろうか。「エッフェル塔がすごかった」とか、そんな感想しか言えないのかもしれない。夜中まで飲みながらも、頭は冷静でちょっとそんなことを考えていた。
これから訪れる国や街で、少し意識してみたいと思った。もっと現地の人々の生活に触れてみたい。そこに旅行の楽しさがあるのではないかと思う。
明日はガウディの建築群、そしてサグラダ・ファミリアについて紹介しようと思います。