簡単には、ピレネーは通過させてもらえない。
ツール・ド・ヨーロッパ
第30ステージ
フィゲレス~ペルピニャン→ナルボンヌ
60km
フィゲレスで泊まったのは、家族で経営しているホステルだった。小さい子達がいて、おばちゃんも優しくて、なんともアットホームで居心地のいい場所だった。
チェックアウトする時に、そこにあったメモ用紙で女の子に鶴を折ってプレゼントした。
そしたら女の子もおばちゃんも大喜び。一枚の紙が鶴に変身してしまい、驚いたようだ。後から男の子がやってきて、鶴を見るなり「ぼくも欲しい!ぼくも欲しい!」と大騒ぎ。その場でもう一つ折ってあげた。「作り方をよく見ておきなさい」とおばちゃんが男の子に言った。しかし、男の子もおばちゃんも「ディフィカルト、ディフィカルト」とお手上げの様子。
「ズィスイズオリガミ。イッツアジャパニーズトラディショナルなんちゃら・・・」と、説明しておいた。こんなに喜ばれるとは思わず、ぼくもビックリした。
そしたら、子供達がお返しにプレゼントをくれた。緑のブレスレット。
サンキューの綴りは違うけど、とても嬉しいプレゼントだった。グラシアス(ありがとう)。お守りにしよう。
「I like this hotel.」と言ったら、
「I like you. And I like Japanese.」と言われた。
どうやらぼくは、とあるスペイン人の日本人に対する印象を少しだけ変えられたようだ。嬉しい。良い行いをした。気分良く出発。ピレネーは間近に見える。
しかし、走り始めて5kmで最初のアクシデントが待っていた。
ついにやってきた。。この旅で初めてのパンクだ。
あぁ・・・
一年に一度、夏休みにしか自転車に乗らないぼくはパンク修理に慣れていなかった。毎年一度はパンク修理をするが、一年経つのでコツを忘れてしまう。チューブをタイヤにはめ込むのに一番苦労した。すごい力が必要で、指が痛い。自転車屋さんはあっという間にやってしまうが、ぼくはあんなに手際良くいかない。1時間近い格闘の末、なんとか直すことができた。
再スタート。ピレネーは間近に迫る。緩やかな坂を登り、いよいよフランスとの国境まであと1kmという場所で
再びパンク。
あぁ・・・
空腹と疲労も合わさって、大きなショックと絶望感を抱いた。精神的ダメージ大だ。さっき直した後輪がまたやられた。タイヤに細い枝が刺さっていて、チューブに小さな小さな穴が開いていた。肉眼では見えないような穴でもパンクはパンク。チューブにパッチを貼って修復した。もうパンクはしませんように、と入念に直した。
今度は大丈夫だったが、かなり時間をロスしてしまった。何かを買って食事をする時間の余裕がないので、持っていたHARIBO(グミ)とチョコレートで食いつないだ。そういえば、ここ最近お昼ご飯を食べていない。朝は軽くパンを食べて、昼はお菓子で生き延びて、夜に質より量というレストランで食べる、という習慣になってきた。果たして栄養は足りているのだろうか・・・。日に日に「日本食はあらゆる面で世界一だ」という思いが強まる。ガスパッチョもいいが、味噌汁が飲みたい。
無事にピレネーを越えてフランスへ突入した。
西ヨーロッパではなく、「フランスを自転車で走りたい」というのが、15才のときから持ち続けていたぼくの夢だった。テレビでツール・ド・フランスを見て、ぼくもこの景色の中を走りたいと、強く思った。あれから7年が経ち、今日ようやく実現した。誰とも競わない、ぼくだけのツール・ド・フランスだ。
予定より大幅に遅れたが、19時になんとか目標のペルピニャンに到着。
そこから電車で30分、ナルボンヌという街へやってきた。
来る予定のなかった街だ。もう暗いのでよくわからないが、なかなか美しい。
ナルボンヌは、イタリア半島とスペインを結ぶドミティア街道と、大西洋と地中海を結ぶアクィタニア街道を結ぶ場所に位置している。そのため地理的に非常な重要な街であり、古くから商業的に栄えたそうだ。明日少し散策してみたい。
旅が始まって、ちょうど1ヶ月が経過した。本当にあっという間だった。旅に慣れるまで苦労は多かったし、そして疲労は依然として溜まり続けているが、特に大きなアクシデントもなくここまで順調に来れたのは奇跡的なことだ。行きたかった場所も全部行けたし、行く予定のなかった寄り道も楽しめた。残り1ヶ月、自分のペースを掴めてきたこれからが旅の本番。全力を尽くして最高のフィナーレを迎えたい。