逆境をどう捉えるか
ツール・ド・ヨーロッパ
第33ステージ
ニース
午前中は、保険会社と連絡を取った。「wi-fi使用可」と書いてあったのに、ホテルはネットが使えない。ネットが使えるマクドナルドに行くしかない。そのためホテルとマクドナルドを何度も往復した。
保険会社の言うところよると、今日は日曜なので、明日であれば無料で病院での診断を受けられるらしい。なので明日の朝まで待つことに。幸い怪我は昨日より良くなっている。顔の腫れも少し引いた。多分問題はないと思うけど、応援してくださっている皆さんに余計な心配をかけたくないので一応病院に行ってきます。
それから、自転車の曲がったハンドル直しに挑戦!自力で直せました!!
自転車屋さん行かなくて済んだ。良かった~。
舛谷先生、伝ちゃん、せいじ、そしてツイッターで教えてくださった皆さん、本当にありがとうございました!
せっかくの休みなので、あまり動き回らないでゆっくり過ごすことにした。一眼レフも置いて、のんびり散歩した。
ニースと言えば、海。歩いて10分。ビーチへ行ってみた。
これが有名な海岸遊歩道、「プロムナード・デ・ザングレ」
ビーチは美しい。砂浜の質はバルセロナのが良かったが、海はこっちの方が奇麗かもしれない。
怪我しているので泳げないのが残念だ。
シャガール美術館へ行った。今日は無料日らしく、タダで入れた。
大きな名作が惜しげもなく展示されている。
ステンドグラスもあった。
しかし、やはりステンドグラスの美しさはマインツのザンクト・シュテファン教会には敵わない。
マインツの日記はこちら
マティス美術館も行った。こちらも運良く無料で入れた。
どちらも小さな美術館で、20分くらいで見れてしまった。今のぼくにはちょうどいい。
マティスについてはぼくもよく知らないが、母に勧められて行った。母は以前ニースに来たことがあって、それ以来マティスが大好きなのだ。
中の写真は撮れなかったが、切り絵が良かった。
街をブラブラと歩きながら、怪我のことについて考えていた。と言っても、落ち込んでいたわけではなく、前向きな意味でだ。
ぼくは何か思わぬ出来事が起こると、「どうしてそれが起こったのか」、「どういう意味があるのだろうか」と考える癖がある。自分の哲学について話すのは恥ずかしいが、ぼくが何を考えていたのか、少し話してみたい。
大学1年生の時、とある本で「出来事と感情は独立した存在であり、全くリンクしていない」という内容の文章を読んで、なるほどなと思った。
例えばつまり、『悲しい出来事』というものは存在しない。出来事は出来事であり、良いも悪いもない。起きた出来事を悲しいと捉えるのは、単なる自分の選択に過ぎないのだ。
「人は同じものを見て違うことを考える」というのは正しくて、人によって物の見方は違う。あるものを見て、面白いと思う人もいれば、つまらないと思う人もいる。運がいいと思う人がいれば、損をしたと思う人がいる。
だけど、どう思うかは自分で自由に選択ができる。であるならば、「全ての出来事をプラスに捉えた方が得ではないか」と、いつからか思うようになった。
乗ろうとしていた電車を、あと一歩で逃した。そんな経験はないだろうか。その時、いつまでも「ちくしょー。失敗した」、「時間に遅れる、どうしよう」と悔やむ人がいる。ぼく自身、大学生になるまでは、正にそういう性格だった。
しかし、上の考えを持つようになってから変わった。
「乗ろうとしていた電車に乗れなかったというのは、どういう意味があるんだろうか。何かあるはずだ」と考えるようになった。
すると、不思議なことが次々と起こる。次の電車に乗ると、思わぬ旧友に再会して、悩んでいた物事が解決するだとか、予定通りの電車に乗っていたら絶対に起きなかった偶然が起きたりする。
この『予期せぬ偶然』のことを、学術的にはシンクロニシティと呼ばれている。恐らく聞いたことのある人もいるんじゃないだろうか。
この不思議な力を利用するようになってから、ぼくは逆境への対処の仕方がうまくなった。簡単に言うと、逆境を逆境と捉えないのである。全ての出来事には意味があると思えれば、何か壁にぶち当たっても、「これには何の意味があるんだろう」と前向きに考えることができる。
さて、話は戻るが、ぼくが怪我をしたのも、何か意味があるはずだ。怪我をしたことで、通常よりも長くニースに滞在しなければならないことにも、何か意味があるはずだ。
色々と考えてみる。肩が痛いので、初めてリュックを背負わずに手ぶらで観光した。まったくもって楽だった。首から一眼レフをぶら下げるのもやめて、小さいデジカメだけにした。ずいぶん負担が違うことに気が付いた。そういえば、この一か月、毎日リュックを背負って、首から一眼レフをぶら下げて歩いていた。それじゃ疲れるわけだ。肩を怪我したのは、それをぼくに教えるためのものだったのかもしれない。
また、「これぞシンクロニシティ」と呼べるような出来事が起きた。
マクドナルドで保険会社と連絡を取り合った後、隣に座っていた日本人の女性の方に話しかけたのだ。別に、ぼくはいつも日本人を見れば話しかけるわけじゃない。逆に、旅行中日本人にはほとんど話しかけていない。せっかくの海外だから、あまり日本人観光客とは話したくない。
しかし、その時は何故か話しかけてしまった。
その女性の方(川口さん)はぼくの話を興味深く聞いてくれた。すると、
「私の旦那の会社も、自転車旅ではないけど、ある登山家の人のスポンサーになっているのよ。アルピニストの栗城史多さんて知ってる?」
「えっ!!?栗城さんですか!?」
知ってるに決まっているじゃないか。ぼくの尊敬する人だ。ってかすごい有名人だよ。
栗城さんは今年の初めにNHKのドキュメンタリー番組に出てから、ブログがすごい人気になった。この9月から、エベレスト単独無酸素登頂を目指していて、それに成功すれば日本人初の偉業となる。
著書の「一歩を越える勇気」も大ベストセラー。
「リスクを負って挑戦する」ということを体現している人だ。本当にすごい。
栗城さんのブログはこちらです。
で、その川口さんの旦那さんがニュートリー株式会社という会社の社長さんで、その会社が栗城さんのスポンサーになっているそうです。当然、社長さんは栗城さんと直接面識もある。その社長さんがちょうど学会があってニースに来ているらしいのです。今日は学会で、その場にはいなかったけど、
なんと川口さんがその場で社長さんに連絡を取ってくださって、ぼくに興味を持ってくれたようで、明日の夜、社長さんと食事をすることになりました。
なんかすごい縁を感じました。うーん。怪我が呼んだ奇跡。
「怪我をした」という出来事も、一見ただの悪い出来事のように思えますが、起きてしまったものはしょうがない。「あの時、ああしていれば」と言ってもキリがないし、後悔からは何も生まれない。
その代わり、過去は変えられないけど、その出来事をどう捉えるかによって、その後の人生は変わってくるような気がするのです。