全ては自分との闘い
ツール・ド・ヨーロッパ
第40ステージ
リミニ~ボローニャ~フィレンツェ
(アペニン山脈:標高930m)
122km
リミニからボローニャまで一度電車で戻る。アリちゃんの家を出たのが遅くなってしまい、結局ボローニャに着いたのは14時半。そこからフィレンツェまで120kmの道のりをチャリで走ることにした。
しかし、『リスクを恐れる自分』が騒ぎ出す。
「ボローニャからフィレンツェまではかなりの山道なんだろ?日が暮れたら危ないぜ?それに120kmも走れるのか?電車で行った方がいいんじゃないのか?」
「うるさい、行かなきゃダメだ。やる前から諦めるな」
と、『リスクを負ってでも挑戦する自分』が対抗する。
実際、怖かった。ボローニャとフィレンツェの間に駅はなく、「日が暮れたら途中から電車に乗ろう」という手段は使えない。行くと決めたら最後まで走り切るしかなかった。
「えーい、行ってしまえ!」
と、全速力で漕ぎ出した。最初の1時間で27km走った。これはかなりのハイペースだ。信号待ち以外、ひたすらに走った。しかし、だんだんと山岳地帯に突入する。イタリア半島を縦貫するアペニン山脈を突っ切るのだ。標高は300、400、500m、と上がってきた。
「疲れた」
「疲れてない」
「疲れたよ~」
「うるさい!疲れてない!」
と、また自分の中の葛藤が始まる。
「今日は魂の走りを見せるんだ。」
標高、700mまでやってきた。
「はぁ・・・はぁ・・・これが魂の走りだ~!」
しかし後から思えば、こんな撮影をしている余裕が、その時はまだあったということだ。地獄の旅はここから始まる。
さらに登り続ける。 「どこまで登るの・・・」
次のカーブを曲がったら、下り坂が待っているのか、それともまた上り坂なのか、それはそこに行ってみないとわからない。なんだか人生に似ている、と思った。もう少し頑張れば道が開けるのに、あと一息のところで諦めてしまう人がいる。それを乗り越えれば、あとはスイスイ進めるかもしれないのに。
やはり、希望を持つしかない。次のカーブを曲がったら、まだ上るのか下るのかわからないが、「きっと下りがあるハズだ」と希望を持たないと、前に進む力がなくなってしまう。実際には、まだ上るかもしれない。だが、何度打ち砕かれても、希望を持ち続けるのだ。「次こそは下りだろう」と。それを繰り返して、人間は強くなっていく。
まだ登る。一番低いギアで立ち漕ぎを続ける。本当に疲れると、「疲れた」という言葉すら言えなくなってくる。つばを飲む力も、鼻水をすする力もなくなってきた。必死に呼吸をするのが精一杯。死ぬんじゃないかと思った。いつ倒れてもおかしくない。意識が朦朧としながら、フラフラと少しずつ上り続ける。
標高930mまでやってきた。
結構な境地だ。そして、ようやく下りが始まった。「よっしゃー!」と思ったのも束の間。そこから魔のアップダウン地帯が始まった。
標高900m→600m→700m→500m→700m→200m・・・
からの・・・ 500m の上りで死亡。太ももががつった。
それでも走り続ける。なんせまだフィレンツェまで53kmもある。
空腹に耐えきれなくなり、ついに持っていた最後のチョコとキットカットを食べてしまった。もう食料はない。何もない山。フィレンツェまで走り切れなかったら死んでしまう・・・
更に追い打ちがかかる。夜はぼくを待ってはくれなかったのだ。
20時になってしまった。真っ暗・・・
何も見えない。日本みたいに電灯がない。自転車のライトだけでは不十分で、後ろから来る車の灯りを頼りにする。それがないと本当に真っ暗。道路の白線がうっすら見える程度。
そして、再び太ももがつった。太ももがビクビクと軽く痙攣している。今度はやばい。チャリが漕げなくなった。無念だが押して歩くしかない。坂道は意地でも全部漕いで登ってやるという意気込みだったから、本当に悔しい。坂で諦めたのは何年ぶりだろうか。少なくとも大学に入って初めてだ。今まで全ての坂を登ってきたのに。
だけど歩くのもまた大変だった。真っ暗な道路だ。車に轢かれないように必至に歩く。1kmほど歩いて、下り道になった。太ももをストレッチして、また自転車に乗る。フィレンツェまであと20km。頼む、持ってくれ。
フィレンツェに近づくにつれて、少しずつ小さな町が増えてきた。車の通りも多くなり、街灯も増えた。とりあえず道が見えるので一安心。
21時半。なんとか生きてフィレンツェに到着した。今までの自転車旅でこんなに辛かったのは初めてだ。箱根よりも、標高1300の阿蘇山よりもキツかった。登りのキツさで肉体的に限界状態になって、更に誰もいない外国の山であるという不安、そして最後の食糧が尽き、おまけに真っ暗、しかもあと30km+登り道+足つっているという状態。精神的にもやられた。3回くらい、「今自分が死んだら」という想像をしてしまった。
この荷物の重さで、標高900m登って、数十回のアップダウンを繰り返し、120km走るというのは、なかなか尋常なことじゃなかった。あの道のりで平均速度20km超えたのも自分的には結構すごい。命がかかっていたからかもしれない。さすがにここまで辛い目にはもう遭いたくないと、正直思う。
山から見えたフィレンツェの素晴らしい夜景。写真は取れなかったが、生死を賭けて戦った一日の思い出として、心の中だけに閉まっておこうと思う。