57からなる、ひと夏の旅物語は終わりを迎える。
ツール・ド・ヨーロッパ
最終ステージ (第57ステージ)
シュテンダール~ベルリン
128km
朝は6時に目覚めた。少し気分が高揚している。いよいよ、この旅も終わるのだ。淋しい気持ちが半分、ようやく終わってホッとする気持ちが半分。正直、何も考えずに少し休みたい。毎日「今日はブログに何を書こうか」と考え続け、たとえ体は休めても頭を休める暇はなかった。
さあ、朝ご飯を食べて準備万全。予定通り8時過ぎに出発できた。ベルリンまで約120kmだ。
もう明日から自転車で走らなくていいので、思いっきり力を使える。快調だ。かなりのスピードで前半60kmを走り切った。まだ11時過ぎ。バナナとチョコを食べて小休憩。久し振りに青空が姿を現した。
17時までにベルリンに到着すれば良いので、最後は手堅くいこうと思い、スピードを落として安全運転に専念した。中学時代、サッカー部の先生に「洋太は詰めが甘い」と言われたのを未だに覚えている。中学生ながらに、ショックだった。でもその指摘は的を得ていて、ぼくは昔から、何か少しうまくいくとすぐ調子に乗って失敗する癖がある。
だから今回は最後まで油断しないようにしよう。そんなことを考えていると、突然日本にいる9つ上の次男から電話がかかってきた。
「おう、突然どうした?」
「最後まで油断するなよ。」
さすが兄だ笑
広大な菜の花畑を走ったり、
たくさんの風車を見ながら走ったり、
今日も純粋な自転車旅を満喫した。「急がなきゃ次の街の観光ができない」と、焦る必要もないのだ。ゆっくりと景色を眺めながら、時には速く走って風を感じて、自分のペースで・・・
途中いきなり100km道路に突入した。いつもなら道路脇をそのまま走ってしまうのだが、今日は安全に行きたい。しかし、入った小道はオフロード。まるでマウンテンバイクのコースのようだった・・・。
最後まで無理をさせてしまってすまん、ロードバイク君。だけどこの2ヶ月間、ぼくの無茶な走りや荷物の重さに本当によく耐えてくれた。パンクが2回で済んだのも幸運だった。ありがとう。BASSOは素晴らしい自転車だった。どこの国へ行っても「いい自転車だね」と褒められた。
今日は走りながら、この旅を振り返っていた。
フランクフルト空港に降り立って、自転車が見つからなかったときは泣きそうだった。旅が始まる前にリタイアかと思った。そんなスタート。
これまで訪れた都市は、
ハイデルベルク、フランクフルト、ヴィースバーデン、マインツ、ボン、ケルン、デュッセルドルフ、アムステルダム、ロッテルダム、アントワープ、ブリュッセル、ロンドン、マンチェスター、リスボン、コインブラ、ポルト、サンティアゴ・デ・コンポステーラ、マドリード、バレンシア、バルセロナ、ジローナ、オロト、フィゲラス、ナルボンヌ、カルカソンヌ、ニース、モナコ、ジェノヴァ、モデナ、ボローニャ、リミニ、サンマリノ共和国、フィレンツェ、ヴェネチア、パドヴァ、ミラノ、ブリーク、ヴェヴェイ、フリブール、フライブルク、ストラスブール、メッス、ルクセンブルク、トリアー、ヴォルフスブルク、シュテンダール、ベルリン
・・・・多いな!!
今さらだけど、書きだしてみて驚いた!あっという間だったけど、こんなに行ったのか・・・。そしてその全ての場所からブログを書くことができた。毎日眠くて辛かったけど、途切れずに書き続けられたのは自分の財産だ。これも応援してくださったみなさんのおかげです。誰も見てくれなかったら、おそらくサボっていたことでしょう・・・。
イベントやハプニングもたくさんあった。
ボンではっぴを着て街中を走った、土砂降りの中走ったロッテルダム、アントワープでパスポートが消えた・・・、ブリュッセルのフラワーカーペット、マンチェスターユナイテッドの開幕戦、飛行場で必死の自転車梱包、ヨーロッパ最西端ロカ岬、『魔女の宅急便』の舞台ポルト、激熱のトマト祭り(サンダルが消えた)、バルセロナのヌーディストビーチ、フィゲラスのダリ美術館、まさかの転倒事故、ボローニャにてバレンシアで知り合ったおじさんと再会、パドヴァの病院事件、BASSOの社長と対面、ミラノの豪雨、スイスの夢のような景色・・・
数えきれないほどの思い出ができた。
辛いこともたくさんあった。思うように自転車を漕げない日々。焦り、プレッシャー。協賛という責任に押しつぶされそうになった。そして山登り、空腹、寒さ、夜の暗闇、向かい風、怪我、言葉の不自由、腰痛、眠さと戦いながら毎日ブログを書く辛さ・・・。
でも、全てを乗り切って今がある。まだあまり実感はないけど、精神的にも強くなったと思う。
色んなことを考えて、気がつけば100km以上走っていた。16時過ぎ、ついにベルリンの街に入った。ここからはウイニングランだ。
最後に頭の中を廻ったのは、応援してくださった方々、全ての人への感謝の気持ちだ。たった一人で旅をした2ヶ月間だったけど、300人の協賛者と共に、そして600人以上のブログの読者と共に走ることができた。現地でお世話になった人もたくさんいる。
ブログは大変だったけど、毎日その日の出来事を伝えることで、気持ちが和らいだのも事実だ。やっぱり人間には、自分に起きた出来事を人に伝えたい欲求がある。読んでくださる人がいることで、ぼくは励まされた。いっぱい走った時に「頑張ったね!」、辛かったときに「大変だったねぇ」と、そう言ってもらえるだけで嬉しかった。今日も頑張ろうと思えた。そして、ぼくのブログを読んで「元気が出ました」、「私も頑張ります」と言ってくださった方もいた。それはこの上ない喜びだった。この旅をやって良かったと思った。
ゴール場所は、ブランデンブルク門と決めていた。そして17時、ついにこの門をくぐった。
待っていたのは、ベルリンに住む長男と、その周りの人たちだった。約10人。用意してくれた小さなゴールテープをくぐった。
これで、ツール・ド・ヨーロッパを完走した。やったぁ・・・。全部で2060km走った。
兄が、「サプライズゲストがいるよ」と言った。
サプライズゲスト!誰だろう・・・。しかし、特に変わった人は見当たらない。兄、兄の奥さん、母、兄の友人たち・・・目立った人はいない。
ん・・・・????
母?
「・・・・・!!!!」
(その時の滑稽な顔・・・笑)
「あれぇ??なんでいるの?」
目を丸くした。なぜ母が・・・。来るなんて一言も聞いてないぞ。2か月かけて西ヨーロッパを一周したぼくが、最終日に行動力で母に負けるという、まさかの事態が起きた。
ツイッターでぼくのつぶやきを見て、花束を持って駆け付けてくださった山崎さん。もちろん初対面だ笑
ブランデンブルク門をバックに記念撮影。
夜は兄の家で小さなパーティをした。
手前にいるのはベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団のヴァイオリン奏者で、コンミスを務める日下紗矢子さん。実は3月に日本でソロ公演をした際に、一度お会いしている。
衝撃的な音色だった。
3月14日の日記、『ヴァイオリニスト日下紗矢子さん』はこちら↓
http://ameblo.jp/yotacat/entry-10481958475.html
ブランデンブルク門で撮影してくださった、プロカメラマンの峯岸さん。
スポーツ雑誌『Number』の先月号に、サッカー日本代表の松井大輔選手を撮影した峯岸さんの写真が使われている。そんな方にゴール時の写真を撮っていただけるなんて幸せだ。
マンガ家の果林さん。
即興でぼくのイラストを描いてくださいました!上手!!
みなさんありがとうございました!
出発前と比べると、だいぶ顔つきが変わったかもしれない。
出発前
ゴール後
8月2日から続いた夢の旅、そして1月31日から始まった夢実現までの長い旅。その過程でたくさんの人たちに出会いました。普通に過ごしていたら、出会うハズのなかった人たち。
「ヨーロッパを自転車で走りたいなぁ・・・」
なんとなく思った、ぼんやりとした空想を、形にしてきた8ヶ月間。色々な人に相談したりアドバイスを受けたけど、コース決めも、資金集めも、そしてもちろん走るのもブログを書くのも、全部一人でやり切った。みなさんの応援のおかげです。
中村洋太の 『ツール・ド・ヨーロッパ ~自転車で西ヨーロッパ一周の旅~』 は、これにて完結いたしました。今後のブログに関しては、またゆっくり考えます。タイトル変更しなきゃ笑 少し体を休めます。
ぼくの旅日記はひとまずこれで終わり。まとめの言葉などはまた後日書きたいと思います。
短い間でしたが、ご清聴、本当にありがとうございました。
P.S. 皆さんの名前を書いてもらった日の丸、完成しました! 一生の宝物にします!