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【雑誌連載】『どこまでも道は続いている 中村洋太のヨーロッパ2000kmダイアリー』第1章

投稿日:2017年3月11日 更新日:

『Green Mobility』2010年12月号掲載

 

インターネットメディアは進化の一途を辿り、バーチャルな世の中はエスカレートする一方だ。若者が外に出なくなったと言われているが、それで事が足りるのだから当然のことである。外に出て、人と触れ合うことでしか得られないものは多い。誰もがそれを分かっていながら、この風潮を止められないでいる。

そんな時代を憂い、疑問を抱いた一人の若者が、単身ヨーロッパへと旅立った。自らの脚で、見知らぬ地を駆け抜けた。2000km を走り終えた自転車には、目には見えない、重い荷物が積まれていた。(編集部)

1枚の企画書から始まった

「日本は本当に地図通りに存在しているのだろうか。地図通りに、道は繋がっているのだろうか……」

それを確かめるべく2009年の夏、ぼくは自転車で神奈川県から鹿児島まで走ってみようと決意した。重い荷物と共に毎日約100kmを走り、13日目についに本州と九州とを結ぶ関門大橋を目の前にした時、感動が込み上げてきた。家の前にある小さな道は間違いなく、一本の線で九州までつながっていた。地図は正しかったのだ。この体験は何にも変えられない財産となった。そしてこれこそが、自転車旅の魅力だと思った。ぼくはそのまま九州を一周し、様々な出会いや感動を手土産に帰ってきた。

年が明け2010年、大きな決意をした。

「来年からは社会人。長い自転車旅をするなら学生のうちだ。今年の夏は、ヨーロッパを自転車で旅しよう」

だが、旅費はどうする? 就職活動や研究が重なるこの時期、アルバイトで旅費を貯める余裕などない。必死に考えた末、ある考えが思い浮かんだ。「スポンサーで旅費を集められないだろうか……」無名の一学生にまさかスポンサーがつくとは思わなかったが、ぼくは覚悟を決め1枚の企画書を作った。

タイトルは、「ツール・ド・ヨーロッパ ~スポンサーを集めて自転車で西ヨーロッパ一周の旅~」。それを持ち企業に営業をかけ、社会人の集まりに参加しては協賛者を募る日々が続いた。その結果、奇跡的に15社の企業協賛と約300名の個人協賛を得ることに成功。こうして多くの人に背中を押され8月2日、ついに海を渡ったのである。

周りはみんなドイツ人

スタート地点として決めていたドイツ、フランクフルトに降り立った。当たり前だが、周りはみんなドイツ人だ。そう考えただけでドキドキしてきた。そんなぼくの緊張をほぐしてくれたのが、最初に入ったレストランで隣にいたドイツ人のおじさんに「どこから来たんだ?」と英語で話しかけられたことだった。

「日本からです。これから自転車で西ヨーロッパを一周するんです」と言うと、「信じられない」という顔。ぼくはリュックの中から旅のために用意した旗をおじさんに見せ、片言の英語で一生懸命説明した。

「この旅を応援してくれる人の名前で、日の丸を作っているんです。もし良かったら、あなたの名前も書いてもらえませんか?」

「もちろん書くよ。面白いアイディアだ。そうだ、これを持っていきなさい」

おじさんが手渡したのはなんと、10ユーロ札だった。ぼくは慌てて言った。

「ノー、そういうつもりで言ったわけじゃないんです。ぼくはただ、あなたの名前を書いてほしかっただけで……」

「いいんだよ。私も君のスポンサーだ。Have a nice trip!!」

そう言って笑顔でお金を渡してくれた。なんて親切な人なんだろう。日本でこんなことってあるだろうか。ぼくは胸がいっぱいになった。

外国が、旅が、教えてくれた

ヨーロッパで最初の自転車旅は、フランクフルトからヴィースバーデンまでの60kmだった。初めての右車線に戸惑い、恐る恐る走った。時折、アウトバーン(ドイツの高速道路)に入り込みそうになり、トラックの運転手に大声で怒鳴られたりもした。日本と違い料金所がないので、気付かないうちに高速道路に入ってしまいそうになるのだ。思った以上に神経を使わねばならず、頭がパンクしそうだった。だがその反面、ずっと思い描いていた憧れのヨーロッパの景色が目の前にあることに、素直に感動した。だだっ広い畑の中に赤と黄色の小屋がポツンとあるという、こっちでは何でもない風景。これは自転車旅でしか見られない。

そしてヴィースバーデンに着くと、水着不可の混浴温泉に入った。男女共に素っ裸で歩いている……「外国に来たな」と、強く感じた瞬間だった。次のマインツという街では、シャガールのステンドグラスに酔いしれた。鳥肌の立つような美しい青の世界に、1時間何も考えることができなかった。

さらにマインツから、ライン川沿いに北上。旧西ドイツの首都ボンでは、日本のお祭り用のハッピを着て市内を走り回った。日本から来た謎の自転車男は注目の的となり、何度も「cool」と言われた。

そしてドイツ最後の街、デュッセルドルフに到着。日本人の多いことで知られるこの街には、おにぎり屋さん、日本語の本屋さんなどが建ち並び、少し異質だ。商業都市と聞いていたのだが、想像とは違い、賑やかで楽しい街だった。「何事も、自分の目で確かめるまではわからない」、旅がぼくに、そう教えてくれた。

翌朝起きて外を見ると、電車を使わざるを得ないほどの大雨。どうせ電車に乗るならいっそ、遠くへ行ってしまいたい……。ヨーロッパ鉄道地図を眺めていると、アムステルダムという名前が気になった。日本からドイツに降り立って7日後、何かに導かれるように、ぼくはアムステルダム行きの電車に乗った。

第2章につづく) 『Green Mobility』Vol.13掲載

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