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【雑誌連載】『どこまでも道は続いている 中村洋太のヨーロッパ2000kmダイアリー』第3章

投稿日:2017年3月13日 更新日:

(第2章はこちら

これこそがぼくの自転車旅

目が覚めたとき、部屋には強い日差しが飛び込んでいた。ポルトガルは、これまで訪れてきた国々とはまるで気候が異なっている。ドイツやイギリスでは常に分厚い雲に覆われ、8月だというのに夕方になれば日本の秋のように少し肌寒かったのだが、それに比べ南欧はなんて素晴らしいのだろう。湿気がなく、気温も高い。待っていたのは、この暑さだった。

首都リスボンは、坂道の多い美しい街だ。急な勾配の小さな通りには、かわいらしい路面電車が次々と往来する。首都とはいえ高層ビルは少なく、西ヨーロッパにありながらまだまだ後進国だという印象も強かったが、どこか懐かしさがあり愛着が湧いた。人も親切だし、海も空も素晴らしい青さだし、最高の国だなと思った。

しかし、ポルトガルが自転車に優しい国でないことは確かだった。後進国は、自転車文化にも当てはまるのかも知れない。なぜなら、自転車専用道というものがほとんど存在しなかったからだ。コインブラからポルトまで120km走った日、自転車とすれ違ったのはわずかに2回だけ。どこにいても自転車が視界に入ってきたオランダと比べると、「同じヨーロッパでも、ここまで状況が違うのか」と、思わざるを得なかった。

そして日本と同じように車道の端を走ることになるのだが、状況は日本よりも悪い。高速道路でもない一般道路が、時速制限120kmという、信じられないルールだったりするのだ。そんな道を30分も走れば、一度は轢かれたねずみや猫の死骸に出くわす。「少しでも油断したら、ぼくもこうなってしまうのか……」と、ハンドル操作にはいつも以上に力が入った。スレスレで通り過ぎる大型トラックの風圧で何度もガードレールに叩きつけられそうになりながら、ぼくは恐る恐るポルトガルを北上した。

そんな中、日本人なんて絶対にいるはずのないような田舎町で坂道を喘ぎながら登っているうちに、忘れかけていた感覚が蘇ってきた。日本のみんなが夕食を食べてエアコンの効いた部屋でテレビを見てくつろいでいる時間に、ぼくは誰にも気付かれることなく、太陽を浴びながらひたすら自転車を漕いでいる。さっきボトルに入れたばかりの水は既にお湯になっていて、飲もうとすれば失敗して鼻にかかり、シャツで顔を拭こうとすれば汗と水でどんどん汚れていく。まるで「快適さ」とはかけ離れている。

なのに、不思議と心地良いのだ。「おい、こんな坂に負けていいのか?」と自分を奮い立たせ、坂道を登りきる度に「よくやった」と自分を励ます。自分との闘い、自己との対話を繰り返しながら、景色が変わっていく。ぼくにとって、自転車旅の魅力はそんなところにあったはず。「そうだ、これこそがぼくの自転車旅だ」、ポルトガルの大地が思い出させてくれた。

一歩踏み出しさえすれば……

ポルトから更に北へ100km、川にかかる小さな橋がスペインとの国境になっていた。国境というと何か大がかりなものを想像していたが、パスポートを見せる必要がないどころか、人すら立っていない。そこにあるのはポルトガルとスペインの国旗が表示された小さな看板のみで、国が変わったという実感がまるでない。

しかし、それもほんの数分のこと。突然ビューンという音とともにぼくの横を風のように過ぎ去ったのは、ポルトガルでは一度も見なかったロードレーサーだった。あまりに速かったので「かなり本格的な人だな」なんて思っていたら、更に10人近い自転車集団が一気にぼくを抜いていった。スペインはロードレースが盛んな国だ。国は確かに変わっていた。

小さな町でカフェに入ると、自転車に乗った東洋人がよっぽど珍しかったのか、お店中の人にジロジロと見られた。英語のわからないおばさんに、ジェスチャーと顔の表情を駆使して必死に「何か食べ物が欲しい」と伝えた。するとおばさんは、お皿の上に焼き菓子を5つのせて手渡してくれた。

「いくらですか?」という顔で財布を見せると、「お金はいらないわ。食べなさい」という顔。なのに「ありがとう」にあたるスペイン語がわからず、その場でお礼を言えなかった自分がひどくもどかしかった。お菓子を食べながら電子辞書で「とてもおいしかったです。ありがとう」というスペイン語を何度も練習し、帰り際おばさんに言った。おばさんはにっこりと笑って「グラシアス(ありがとう)」と言ってくれた。少しスッキリした。

そしてバレンシアで世界三大祭りの一つであるトマト祭りを満喫した後、バルセロナへ向けて走り出した。その日の日記には、こんな言葉が書いてある。

「日本を出て24日が経った。疲労が蓄積していくため、なかなかスッキリした状態にならない。たまには一日中寝ていたいなと思うこともあるが、前に進まなければいけない。一歩を踏み出すのは億劫だが、一歩踏み出しさえすれば後は勝手に進んでくれる。自転車だけではなく、大抵のことはそうだ」

自転車旅という限定されたものを通じて、様々な普遍的なことを学んでいた。バルセロナでは自転車のメンテナンスのため3日間滞在することになったが、気持ちも新たに再スタートを切ることができた。ここから旅は後半戦に突入する。地中海沿いにしばらく走ると、遠くにではあるが、しかしはっきりとピレネーの山々を見ることができた。

(第4章につづく) 『Green Mobility』Vol.15掲載

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