(第3章はこちら)
目次
折り紙は世界を繋げる
ここはスペイン最北東の街、フィゲラス。ピレネーはもはや目前、その向こうはいよいよフランスだ。画家ダリの出身地でもあるこの街では、「ホテルヨーロッパ」という家族経営の小さなホテルに泊まった。「朝食は7時からよ」と説明するお母さんにピッタリと寄り添っている子供たちが可愛く、思わず微笑んでしまった。翌朝出発する時ふと思い立ち、ロビーに置いてあったメモ用紙で折り鶴を作り男の子にプレゼントをした。
するとこれが、意外なまでに大喜び。隣にいた女の子が「私にも作って!」と騒げば、お母さんは「どうしてただの紙でこんなものが作れるの!?アンビリーバボゥ!あんたたち!作り方をよく見ておきなさい!」と、子供たち以上に興奮している。しかし実際、折っていく過程を見ると、「ワーォ、ベリーコンプレックス(複雑)」としきりにため息を漏らし、「とても覚えられないわ。日本人は手が器用ね」と諦め半分で苦笑い。
子供たちは折り鶴のお返しにと、「ありがとう」と書かれた手作りのブレスレッドをプレゼントしてくれた。そして「このホテルが大好きです。」と言うと、「私もあなたが好きよ。日本人のこと、好きになったわ」と言ってくれた。折り紙を通して世界が繋がった。……驚いたのはぼくの方だ。
死と隣り合わせの、命懸けの旅
フランスへと突入した。旅が始まって1ヶ月が経ち、ようやく生活のリズムにも慣れてきたところで緊張感が少し失われていたのだろうか。ぼくは、生まれて初めての”落車”を経験した。
一面のブドウ畑に囲まれながら、北東へと進んでいた時のことだった。いつものようにロータリーを右に曲がろうとすると、目の前には水たまり。何故そこにこぼれていたのかはわからないが、その液体がガソリンだと気付いた時には既に遅し。時速30kmで走っていた自転車はツルっと宙を浮き、顔からコンクリートに叩きつけられた。幸いにも自転車は無傷。右肩と顔に軽傷はあるものの、骨折した箇所もなかった。
だが海外での一人旅では誰に助けを求めれば良いのかわからず、精神的なダメージは大きい。近くの薬局に駆け込むと、店員さんが応急処置をしてくれた。何を言っているかわからないが、「大変だったわね」という顔で消毒をしてくれた。それだけで随分安心できた。その時のぼくにとっては、「人と触れ合うこと」が何よりの治療だったのだ。
怪我が落ち着くまで、少し体を休めようと決めた。ニースへと向かう電車の中、地中海に沈む夕陽を見ながら再び事故を思い出した。「ぼくは今、一歩間違えれば死と隣り合わせの、命懸けの旅を行っているのだ」と、改めて思った。
ヨータ、よく来たな!
南フランスのニースからモナコにかけての地中海沿いの道は、今回の旅で最も心地よかった。右手に美しい地中海、左手には”鷲の巣村”と呼ばれる急斜面に密集した村々が姿を現す。モナコを出ると40kmほどでイタリア国境の街ヴェンティミーリアに到着。港町ジェノヴァを通り、都市ボローニャへとやってきた。
この街の広場で、ぼくはある人を待っていた。遡ること2週間。トマト祭りに参加するために立ち寄ったスペインのバレンシアでの、ちょっとした出来事だ。
――― 「スペインと言えば、パエリアだ」と思いぼくは、レストランに飛び込んだ。しかしウエイトレスに注文をすると、「パエリアは2人分からしか作れないのよ」。ぼくは渋々、パスタを頼んだ。「スペインに来てパスタを食べるなんてなぁ」なんて思いながら周りを見渡していると、ふと隣に座っているおじさんが目に止まった。このおじさんは一人なのに、パエリアを食べているではないか!ぼくは、思わず話しかけてしまった。
「すみません、パエリアって二人前からじゃないと注文できないのでは?」
「そうだよ」
「え?でも、おじさん一人ですよね?」
「あぁ、だが食べ切れないことはないさ」
見ると、大きな鉄鍋に盛られた二人分のパエリアを間もなく完食するところだった。少食のぼくには真似できない芸当だ。
「君は何を注文したんだい?」
「パスタです」
「おいおい、スペインに来てパスタか!はっはっは!」
「・・・・・」
そんな調子で仲良くなったステファノさんはイタリア人で、仕事の出張でバレンシアに来ていたそうだ。
「そうか、自転車小僧。これからイタリアへ向かうのか」
「はい。ステファノさんはイタリアのどこに住んでいるんですか?」
「モデナという街さ」
「ぼく、モデナの近くのボローニャに寄るつもりです」
「ではボローニャに着いたら私に連絡しなさい」
そう言って、電話番号を書いた小さな紙切れを残して去って行ったのだった。―――
「ヨータ、よく来たな!はっはっは!」、ステファノさんは彼の娘と友人の日本人を連れて現れ、地元で人気のレストランに連れて行ってくれた。そこで食べたポルチーニ茸の味は忘れられない。この広い地球で、スペインで初めて出会った人と2週間後に今度はイタリアで会い、ご飯までご馳走してもらえるなんて……奇跡だ。人は本当に好きなことをしている時、良い流れを引き寄せるものなのだろうか。
「あそこでこの人に出会っていなければ・・・」と思うことが、この旅ではたくさんあった。
「人間は一生のうち、逢うべき人には必ず逢える。しかも一瞬早過ぎず、一瞬遅すぎない時に」という言葉があるが、それを日毎に深く実感する。人は見えない力で繋がっている。
旅は残りあと20日。ボローニャからフィレンツェへと向かう山道で、この旅最大の試練が待ち受けていた。
(第5章につづく) 『Green Mobility』Vol.16掲載