(第4章はこちら)
目次
アペニン山脈での死闘
イタリアを南北に縦断するアペニン山脈。ボローニャからフィレンツェへと向かうぼくにとって、避けては通れない峠だ。ボローニャ郊外に出るとすぐに殺風景な山道に入り、人家はなくなった。ハンドルに取り付けられたGPSの標高計は、300mから400m、500m…と、刻みを止めることはない。「どこまで登るんだ……」喘ぎながら立ち漕ぎを続ける。足は既につりかけている。フィレンツェはまだ、100㎞も先だというのに……。
本当に疲れると、「疲れた」という言葉すら言えなくなってくる。つばを飲む力も、鼻水をすする力もなくなってきた。必死に呼吸をするのが精一杯で、このまま死ぬんじゃないかとさえ思った。そんな時、ふと意識朦朧の中で”大和魂”という三文字が頭をよぎる。
そして、「日本人がヨーロッパの坂に負けてたまるか。魂の走りを見せるんだ」と思い直す。誰が見ているわけでもない、歩いたってバレやしないが、諦めないことがぼくにできるみんなへの恩返しだった。「一人旅だけどぼくは一人じゃない。みんなと繋がっている」不思議と前に進む力が湧いてきた。
標高930m。ついに峠を越えた。苦しみを乗り越えた末に訪れる下り坂は、言葉では表せないほど爽快だ。足がつりながら、苦労の先にたどり着いた花の都フィレンツェで、旅の疲れを癒した。辛い経験をすればするほど、心が自由になっていく気がした。
BASSOの社長と対面!
水の都ヴェネチアを経由し、北イタリアの街パドヴァにやってきた。当初は訪れる予定のない街だったのだが、ある人物に会うために。ぼくが乗っている自転車は、イタリアのBASSO社製のロードバイク。そのBASSOの本社がこの近くにあるということを知り、せっかくだから本社に挨拶に行ってみたいと思ったぼくは、日本で協賛していただいたジョブインターナショナルという自転車会社の高橋社長にメールで相談した。すると、なんと社長の携帯電話の番号を教えてくれたのだ! これも何かの縁だと思い、ぼくは恐れながらも社長のミスター・バッソに電話をかけてみた。
「ハロー?」
「ハロー」
「ミスター・バッソですか?」
「そうだよ」
「……!」
本当に繋がった。ぼくは片言の英語で、必死に状況を説明した。「あなたに会いたいです」と伝えると、ミスター・バッソはこう答えた。「残念だが、今は本社にはいないんだ。実は明日からパドヴァで、自転車展示会があるんだ。そうだ、良かったら君もそこに来ないか?」この展示会はイタリア全土から人が集まるほど規模が大きいものだ。たまたまぼくが訪れた日に、年に一度の展示会が開催されていたのだ。これは単なる偶然なのだろうか……。
パドヴァの街に着き、広い会場を30分近く歩き回った末に、ようやくBASSOの展示ブースを見つけた。係の人に聞いてみた。「ミスター・バッソはいますか?」すると1分後、奥から貫禄のあるおじさんが笑顔で出てきて、握手を求めてきた。
「ハイ、ヨータだね!」ミスター・バッソだった。「はじめまして。ぼくはこのBASSOの自転車で、西ヨーロッパを一周しています。走り心地は最高です。あなたにお会いできて嬉しいです。感謝しています」ガムシャラに想いを伝えると、とても喜んでくれたようだった。
「みんな、このジャポネーゼ(日本人)は、私の作った自転車でわざわざ日本からやってきてくれたんだ。すごいだろう!」と、誇らしげに話す社長。社長は、デザイナーとして自ら自転車を作っている。つまり、もしこの人がいなかったら、ぼくが乗っているこの自転車も存在しなかったということ。そう考えると感慨深い。
うまく言葉で言い表せないが、なんという奇跡だろう。ぼくは今、自分が乗っている自転車の生みの親と話している。この広い世界で一つしかない〝点〟が、目の前にあるのだ。しかもミスター・バッソは、見ず知らずの、いきなり訪れた日本人に非売品のシャツと帽子をプレゼントしてくれた。もちろん、旗にはサインも。旅をすれば辛いことも確かだが、それを凌駕する素晴らしい体験も確かにある。それは得てして、人との触れ合いの中にある。そんな風に思えた、幸せな一日だった。
スイスから再びドイツへ
翌日、ぼくはスイスへ突入した。「こんな山、見たことない」。日本では見ることのできない絶景だった。アルプスの谷間を、軽快に走っていく。道端の牛や羊の群れ。時には、迷いのない緑の平原に囲まれる一本道。走っているだけで幸せになれる、そんな景色だった。
チャップリンが愛したというレマン湖畔の街ヴヴェイには、長さ30㎞の世界遺産のブドウ畑が広がっていた。「おぉー!」、しかし感動と同時にある種の淋しさを感じた。毎日のように新鮮な光景と奇跡の出会いを繰り返してきたこの素晴らしい日々も、もうすぐ終わりを迎えるのだ。
国境の街バーゼル。再びドイツへ戻ってきた。ゴールのベルリンまで残り一週間。朝の寒さに、時の流れを感じた。もうヨーロッパは、初秋を迎えていた。肉体的な疲労は既に限界に近付いていたが、今日もいつものように旅の相棒にまたがり、自分を奮い立たせる。
「いくぞ……。最後の走りだ!」
(最終章につづく) 『Green Mobility』Vol.17掲載