クラシック好きのマスターが営む近所の喫茶店「珈琲の詩」に置いてあった本、おもしろくて一気読みしました。
作曲家としてのバッハの偉大さが広まったのは、彼の死後のことでした。生前の彼は「世界的な教会オルガニスト」として有名でした。
ライプツィヒにある聖トーマス教会のカントル(音楽監督)に就任後、年間約50曲のカンタータを作曲・演奏するという精力的な活動をトーマス教会のために行なったといいます。
ぼくは2009年と2012年にライプツィヒを訪れました。1回目はゲヴァントハウスという有名なコンサートホールで演奏し、2回目は出張で訪れたのですが、その際バッハ博物館のスタッフの方と知り合い、一般公開されていない場所を見学することができました。
演奏会やパーティーなどに使われていた「ゾンマーザール」と呼ばれる天井が吹き抜けの広間で、バッハもときどきそこで演奏していたということで、非常に感慨深いものがありました。博物館にはバッハの直筆の譜面がありました。
1685-1750に生きた人。300年前には大活躍中だったと思うと、そんなに昔の話じゃないな。
バッハは大好きな作曲家だけど、ちゃんと理解しようと思うと聖書やキリスト教の理解が不可欠。しかし、全然わからないぼくでも「良い曲だなあ〜」と耳で聴いて心で感じられるのだから、音楽は偉大です。
「ライプツィヒで和太鼓を叩いた方ですか?」
その後、カフェで本を読んでいたら、突然店員さんに話しかけられて、目が丸くなりました。
(なぜ???)
「Facebookで拝見しました」
「あ〜、さっきの投稿(上の話)、見てくださったんですか」
「私たちも、2000年にライプツィヒに行ったんです。バッハ音楽祭を聴きに」
その方はマスターの奥さんでした。
「いいですね!バッハ音楽祭はぼくも憧れますよ」
「マスターがバッハの気違いでね笑 良かったらこれ、見てください。人の写真見てもつまらないかもしれないけど」
渡してくださったのは、その旅行のアルバムでした。ぼくが行ったカフェなども出てきて、懐かしいな〜と思いながらページをめくっていると、最後の方に挟まっていた当時の新聞の切り抜きを見て、「あっ!」と声が出ました。
どちらの記事でも、紹介されていたのはバッハ資料財団 広報室長の高野昭夫さんでした。
「ぼく、2012年にこの高野さんにライプツィヒでお世話になったんですよ!バッハゆかりの特別な部屋に案内してくださって、とても貴重でした」
「あら、そうなの〜!」
新聞記事では、高野さんがライプツィヒに来ることになったきっかけも書かれていました。
「家が貧しいから」という理由でいじめに遭っていた中学時代の高野さん。見かねた音楽教師がクラシックの演奏会のチケットをくれて、そこで聴いた荘厳なバッハの音色に感動し、大学卒業後に渡独。ライプツィヒでバッハの墓掃除をする代わりに、牧師寮に住み込ませてもらった。
一度帰国し、不安定な生活から抜け出そうと就職をするも、なじめずに退社。その窮状を伝え聞いたライプツィヒの牧師らが「戻ってこい」と航空券を送ってくれた。
「だから私は、この街に恩返しがしたいのです」という言葉どおり、もう28年間もライプツィヒでバッハとこの街の魅力を日本人に伝え続けている高野さん。
ひょんなことがきっかけで、素敵なエピソードを知りました。ひとつの発信から、何が起こるかわかりません。
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