昔のブログに、大学を卒業し、いよいよ明日から社会人になる、という日の記事が残っている。
会社員時代は、なかなか思うようにいかず、辛いことも多かった。それでもギリギリのところで耐え、希望を持ち続けられたのは、この文章があったからだと思う。
「必要な修行だから、きっと辛いこともあるだろう。だけど、何としても自分の舞台に戻ってこよう」という「約束の文章」だった。
無事に早稲田大学を卒業し、明日から社会人になります。
言ってみれば、この4年間は、自分の美しさへの限りない追求だった。
ぼくの言う「自分の美しさ」とは、自分が美しいと思ったもののことだ。たとえば絵を見て、「素晴らしい」と感じたとする。それは、その絵が素晴らしいのではなく、自分の中にあるものと、絵の中にある「何か」が共鳴したということ。つまり、その絵の美しさは、自分の中にあるのだ。音楽でも、サッカーでも、文章でも何でもそうだ。
ぼくが自分の限界を全く考えず、興味を持った全ての事に挑戦することができたのは、興味を持った時点で、それが自分の美しさだと知っていたからだ。
自分の好きなことを一生懸命やることが、人のためになるのだと知った。そして4年間、自分に与えられた舞台を踊り続けた。
良かったことは、湧き起こる疑問に対して、素直になれたこと。そして、自分の足で動いて、自分の目で確かめたこと。難しいことはしていない。ぼくはただ、誰にでもできるのに、誰もやらないことをやっただけだ。
ヨーロッパ2000kmを自転車で疾走した。高校生のころからの夢が叶った。言葉が通じなくても、心で分かり合えた。想いは通じた。人の温かさに感動した。ポルトガルの荒野を駆け抜けた。山道を必死に走ったイタリア。ベルリンへのラストラン。それはまさしく、魂の高揚だった。ドイツの片田舎で、嬉しさと迷いと悲しさと、全ての感情の混じる雄たけびを上げた。それこそが、ぼくの青春の輝きだった。「生きていて良かった」と一人で涙を流した。
世界に出ることは、自分の小ささを知ることでもあった。人に対して、自然に対して、謙虚にならくてはならない。何をしていても、上には上がいた。それを知れただけでも、価値はあった。
明日から社会人になる。ブログもどうなるかわからないし、今までのような挑戦も当分は出来ない。だけど、必ずまた自分の舞台に戻ってくる。新たな挑戦に備えてしばらく修行してきます。」(全文はこちら)
これから、学生時代以来となる長い自転車旅に出る。
6年前に比べて、体力は衰えたかもしれない。だけど、6年前には書けなかった文章を今は書ける。そして、この期間に様々な人と出会い、様々な経験をした。そういうものを、自転車旅を通してアウトプットできることが、今は非常に楽しみだ。
先日、陸上のボルトが桐生選手に言ったという言葉が話題になっていた。
「いいか、桐生。自分のために走れ。それが国のためになればいい。まずは『自分のために走る』。そして『楽しむ』。それが日本のためになるんだ。決して国のためだけに走ってはだめだ」
これは本質的な言葉だ。ぼくも同じことを思っている。
自分の美しさを限りなく追求する。好きなことを一生懸命やる。そして何よりも、楽しむ。
それが日本のためになると信じている。
出発まで、あと2日。
ようやく、自分の舞台に戻ってきた。あとは、踊るだけである。