二子玉川でお昼を食べながら、なんちゃんと3時間以上話していました。忘備録として、話したこと、感じたことの一部をまとめておきます。
・みんなに好かれたいのか
どんな投稿や発信をするのか。みんなに好かれる存在になりたいのか、あるいは10人いたら2人には嫌われるけど、2人にはめちゃくちゃ好かれる存在になるのか。みんなに好かれる人は、逆に言うと、突き刺されるようには好かれない。後者の方が、ファンになった人の熱量は高い。どちらを目指すのか。前者では、すごく良い「普通の人」で終わってしまう可能性が高い。それでいいのか。
・いつかは飽きられる
今、あるいはこれからぼくがやろうとしていることが、たとえ面白いと思われて話題になったとしても、いつかは飽きられる。今年の流行語は来年の流行語ではない。一定数のファンはつくかもしれない。でも、そこで安住してしまうと、ある程度「予測できる」人間になってしまう。自分の未来が予想できる、それは恐ろしいこと。
様々なジャンルの人に会っているから、多様性があるように感じさせているけど、遠目から見れば、ある程度予想できる範囲の人間に収まっている。似た価値観の人が集まっている。正直なところ、自分の手に負えない人には、今の段階では、怖くて会えていない。でも自分が無意識に設定しているその枠をはみ出したとき、さらに突き抜けた存在になるのではないか。そして常に変化し続け、挑戦し続け、見ている人を飽きさせないこと。
・タモリさんは何者なのか
タモリさんは不思議な存在だ。誰からも好かれている、かつ、コアなファンも多い。ブラタモリで見せるような、「どうしてそこまで知っているの」「こういう一面もあるのか」という多面性が人を惹きつける。たとえばぼくが、全ての出来事を公開していると見せて、実はこっそり小説を書き続けて、「芥川賞を受賞しました」となったら面白いよねって。普段見せない面、人としての「深み」をどれだけ持てるか。
これから独立するうえで、どうしていきたいのか。みんなに好かれたいのか、それとも嫌われる覚悟で突き抜けるのか。
「少なくとも、みんなに好かれる人は、『歴史の教科書』には載らないよね」
・予測不可能性
「すべてを公開、かつ、次の一手は誰にも予想させない」がぼくのモットーだった。「今度はその人に会ったか」「え、そこいくか」と思われたい。「やっぱりその人ね」と予想されたらすごく悔しい。
「ほとんどを公開、かつ、次の一手は誰にも予想させない、かつ、実はこんなこともやっていた」が新たなモットー。自分の可能性を自分で決めたくない。
信念を貫けば、嫌われることもあるだろうし、対立することもある。だけど、より強く応援してくれる人もきっと現れる。わざわざ嫌われるようなことをする必要はないけど、思うことをやった結果として嫌われるのは、気にしないこと。
「洋太には、普通の人間で終わってほしくない」
そう言ってくれる親友の存在は大きいです。