できるとわかっていることに取り組むのは、真の挑戦とは言えない。たとえ周囲からは挑戦しているように見えたとしても、自分にとって挑戦しているという意識がなければ、挑戦とは言わない。
エベレスト経験者にとって富士登山は挑戦とは言えないだろうが、登山経験のほとんどない人にとってはそれは挑戦かもしれない。挑戦とは、対象の規模によるものではなく、自分の立ち位置と対象との距離の問題だ。答えは自分の意識の中にあるから、他人にはそれが「挑戦かどうか」真に計ることはできない。
10回やって10回成功するとしたら、それは挑戦と見せかけているだけかもしれない。ぼくもよく無意識に、挑戦している風に見せてしまい、反省することがある。でも、自分の中ではハッキリとできるとわかっていることだから、真の挑戦ではないのだ。
無意識にそんなことをやらかしてしまうくらいだから、自分が今挑戦しているのかどうか、判断するためにはどうしたらいいのか。確実に言えるのは、失敗するということは、少なくとも挑戦しているということだ。だから、できないくらいが、ちょうどいいのかもしれない。失敗を続ける限り、伸びる余地がある。
この年齢になると、経験が邪魔をし、どんどん失敗を恐れるようになる。経験を積めば失敗は減る。でも失敗しないことに慣れると、今度は「わざわざ失敗するリスクを負ってまで新しい挑戦はしなくてもいいか」となってくる。20代に入ると、多くの人がこのような思考になってくる気がする。同じ作業なら、よりうまく、より速くできるようになるから、やろうと思えば、「仕事をしているふり」をすることだってできる。
経験にしがみついているだけだと、そこから伸びなくなる。新しいことに自分を試さないと。失敗したら、「よし、今はちゃんと挑戦している証拠だ」と自分を励ましながら、頑張っていきたい。