ブログ

人事を論ぜんと欲せばまず地理を見よ

投稿日:2016年2月28日 更新日:

山口県・萩へ行ってきた。

この町に住む人々は、誰もが吉田松陰のことを「松陰先生」と呼ぶ。

「ほかの県では松陰先生と呼ばないんですか?」

小さい頃からそう育ってきたから、それを当たり前のことだと思っているようだ。

松下村塾を見てきた。

12790126_1106546602718927_428173419_o
この八畳の小さな空間から、明治維新が生まれたといっても過言ではない。

吉田松陰は、ここで久坂玄瑞や高杉晋作、伊藤博文らに講義をした。松陰は死罪となったが、志は彼らが受け継いだ

「地を離れて人はなく、人を離れて事なし、ゆえに人事を論ぜんと欲せばまず地理を見よ」

松陰は、江戸時代きっての旅人だった。空理空論を嫌い、現場主義・行動主義の男で、自ら日本各地に足を運び、その地の高明な人物たちを尋ねて、教えを受けて回った。脱藩という重い罪を犯してまで、旅をした。

しかし、幕府の方針を強く非難し、強い主張を持ちつつも、どこか女性のような優しい心や、面倒見の良さを併せ持つ、不思議な男だった。

何かの専門家にはなれない性格だと、自覚していた。生粋の総合者であり、バランスの取れた男だった。30歳という若さで亡くなったのが、あまりにも惜しい。

地理を大切にした松陰。ぼくもなぜか昔から、地理が好きだった。地図帳を眺めているのが好きだった。

(ここにこんな半島があるんだ。この島へはここからフェリーで行けるのか。ここが日本の最南端なのか)

社会人になって、日本地図から世界地図に変わったが、

(ここにこんな国があるんだ)

と本質はあまり変わっていない。

観光地はあまり好きじゃない。その土地のものにふれた瞬間がいちばん楽しい。その土地のお酒だったり、言語だったり、食材だったり、その土地ならではのもの。観光客に対してのものではなく、その土地の日常にふれたい。

高校1年のときにサッカー部を辞めてから、放課後にランニングをするのがぼくの習慣になった。

追浜から京急富岡まで、15kmくらい走っていた。最初は道に迷いながら、様々な道を開拓していった。知らない道を走っていても、いずれ知っている道に出てきたときの快感は、このときに覚えた。だから道に迷うことも好きだった。

一度友達を連れてランニングしたときに、「間違ってるかもしれないじゃん」と、道に迷うたびに不安そうになる様子を見ていて、「道に迷うの楽しくない?」「楽しいわけねえだろ」と言われ、初めてそういうものなのか、と思った。

「きっとどこかに繋がってるよ」
「間違えたとしても引き返せばいいじゃん」

そう言っても、通じなかった。

でもぼくは、そうして迷いながら、ひとつずつ道を覚えていった。

自転車旅の楽しさは、知らない道を走ることにある。知らない道を走っていった先に、大阪や長崎といった、見たことのある風景にぶち当たる。車も電車も飛行機も使わず、自分の力でここまでたどり着いたという実感。

その快感を伝えようと思っても、実際にやってもらわないと、わかってもらえない。でもほとんどの人はやらない。だからこそ、これまで自転車で旅した10000km以上の道のりは、ぼくにとって一生の財産だと思うのだ。お金で買える体験ではない。やらなきゃ得られない。

地理の大切さを強く感じたのは、社会人になって、たまたま出会ったあるフランス人とのやりとりがきっかけだった

日比谷の定食屋に入ってきた、観光中のフランス人家族。

「Where are you from?」と聞いた。

「フランスだよ」

「フランスのどこ?」

「ランスという町だよ」

「どっちのランスですか?」

多分、そんな聞き方をできる人は少ない。ぼくは旅行雑誌の編集をしていたから、フランスには有名なランスという町が2つあることを知っていたのだ。

「大聖堂で有名なランスだよ」

「ああ、世界遺産の方ですね」

「よく知っているな」

と、この会話だけで仲良くなった。でもきっとそうなのだろう。たまたま出会った極東の日本人が、自分の住んでいる町について知っていたら、嬉しいだろう。

あるフランス人との出会いと、意図的な奇跡

ぼくだって、もし彼が地元・横須賀のことを知っていたら、とても親近感が湧くはずだ。地理というもののチカラを、このときに知った。

様々な土地を訪れることには、人と人を繋ぐ力がある。

「え、◯◯出身なの? あそこの神社、階段きついよね」

「よく知ってるね!」

そういう風に、ぼくは初めて会った人たちと仲良くなってきた。地理は絶大なコミュニケーションツールだ。

松陰も、きっとそのことを知っていただろう。

ぼくもまだまだ、旅を続けたい。その先には、人がいる。

12773367_1106546609385593_1956342932_o

挑戦は続く。

-ブログ

執筆者:


comment

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

関連記事

生産の放棄と創造

今年3月に読んだ『1日3時間だけ働いておだやかに暮らすための思考法』という本の中で、「人生の意味を「生存」から「創造」に変えるひとつの方法は、ニートとして1~2年、名実ともに生産を放棄する期間を設けて …

「大好きな日本に恩返しを」震災後、 歩いて日本を縦断したスイス人トーマス・コーラーさん

日本の魅力を発信するのが、必ずしも日本人であるとは限らない。震災後、日本のために行動を起こしたひとりのスイス人を紹介したい。偉大なチャレンジの背景には、日本への底知れない愛があった。 2012年2月6 …

【第2ステージ「バカじゃないの? そんなの、無理に決まってるじゃん」】無名の大学生が「スポンサーを集めて自転車で西ヨーロッパを一周する」という夢を実現した話

「夏休みに、横須賀から九州まで、自転車で行くんだ」 そう話すと、Sくんは言った。 「バカじゃないの? そんなの、無理に決まってるじゃん」 「え、なんでそう言い切れるんだよ。じゃあ、Sはやったことあるの …

早稲田大学交響楽団「ヨーロッパツアー2015」の凱旋公演を聴いて

2月末、海外出張でドイツのドレスデンを訪ねたとき、ヨーロッパ屈指の歌劇場として知られる「ゼンパーオーパー」のチケット売り場の中で、見覚えのあるポスターを見つけた。ワセオケ(早稲田大学交響楽団)が1週間 …

2019年の振り返り

様々な方に励まされ、支えていただいた一年でした。先にお礼を言わせていただきます。本当にありがとうございました! 時期で振り返る 1月〜3月 仕事してた ・仕事は順調だったけど、ゆっくりする余裕がなかっ …