全国の経営者向けに発刊している、『経営者通信』という情報誌がある。書店に置いてある雑誌ではないのだが、昨年2月、たまたま目にする機会があり、興味深いタイトルの記事を見つけた。
「人材の個性と才能を引き出すインナーブランディングとは
“すっぴん”で全社員が輝き出す 会社の魅力を最大化するツール」
インナーブランディング? すっぴん? タイトルだけではよくわからなかったが、その本文で語られている内容に深く感銘を受け、社長の大島理香さんに即座にコンタクトを取った。
大島さんは見ず知らずの自分に対してとても丁寧に返信してくださり、関連するセミナーなどにも誘ってくださったが、なかなかタイミングが合わなかった。今回、一年越しの念願が叶い、ようやくお会いすることができた。
目次
29歳、初めての履歴書
国立音楽大学で声楽を学んでいた大島さんは、大学3年生のときに友人に誘われ、ベンチャーの立ち上げに参画した。当時は携帯電話といえば docomo。FOMAが最盛期の頃で、着信メロディー(着メロ)が大流行していた。
大島さんは数人の仲間とともに、着メロのデータを企画し、企業に販売する事業を行った。これが大当たりした。もちろん変化の激しい業界だから、着メロ以外にも様々な事業に取り組み、会社は大きく成長していった。デコメールも流行っていた頃で、それに関連する新規事業を任され、子会社の社長に就任したこともある。
20代にして、豊洲にマンションを買った。端から見れば、順風満帆な人生である。しかし、大島さんの中では、違和感があったという。
「当時、お金はとにかくたくさんいただいていました…(笑)。でも、会社の成長に、自分が追いついていない感じがしたんです。立ち上げ当時からいた分、色んな仕事をしてきましたけど、自分の専門領域といえるものがなかったことも悩みでした。
いよいよ30歳を目前に、結婚する予感も全くせず、仕事のレベルもこのままで40代を迎えては本当にマズイと思っていたなか、一から広報を学んでみたいという想いが湧いてきて、転職を決断しました」
9年間働いてきた会社を辞め、転職活動を始めた。29歳にして、初めて履歴書を書いた。
「新卒を経験していないから、履歴書の書き方もわからない状態だったんですよ。とりあえず求人サイトに登録して、普通に転職活動をしました。仕事を辞めて、マンションを売って家族を追い出し、ついでに当時付き合っていた彼氏とも別れたんですが(笑)、不思議と不安はなく、色々な悩みから解放されて0からスタートできるという期待に溢れていて、毎日ワクワクしていました」
そして大島さんは、クロス・マーケティングという、マーケティングリサーチ会社に入社した。
「これが本当に、良い会社だったんです。30歳にもなって今さらなんですが、社会人のいろはをようやくたたき込んでもらえて。楽しくて仕方なくて、同僚とは毎晩のように飲み歩いていました」
「どんなお仕事をされていたんですか?」
「広報やPRの担当です。一般的な企業広報活動はもちろんですが、自主調査リリースといって、たとえば、「夫婦のへそくり」や「夏のボーナスの増減や使い道」などの意識調査などを行い、その調査結果をメディアが取り上げやすいように見せ方を整えてプレスリリースにして公開し、自社サイトに飛んできてもらってインバウンドにつなげたり。それから、社内報も任されました」
社員の「埋もれた価値」を発信
「社内報?」
「もともと社内報はあったんですけど、形式的でもったいないと感じる部分が多かったんです。あるとき社長に『こうした方がもっとおもしろくなって、さらに読んでもらえるようになると思います』と話したら、『じゃあやっていいよ。編集長ね』とその場で任され、全面的にリニューアルしました」
「具体的に、どういう変化があったんですか?」
「記事を書く社員の方には、『頑張ります』とか『よろしくお願いします』とか、そういう言葉は絶対に使わないでくださいと強く言いました。
それから表紙が花の写真とかで、それじゃダメだろうと思って、それからは四半期ごとのMVP社員を表紙にしたり、あるいは裏方の部署でも、会社に貢献して活躍している人を取り上げたり。
写真のクオリティーも大事だから、ロケハンまでしてカメラの得意な人に撮ってもらいました。もちろん企画も飽きられない様に工夫したんですよ。袋とじとか総選挙とか色々ありますが(笑)、ランキングのコーナーで『遠方から通っている人ランキング』というのもウケましたね。思いつきで社内に聞いて回ったら、毎日新幹線を使って片道3時間以上もかけて通っている人がいて!
こういう情報って、すごい価値があるんです。仕事には全く関係ないくだらない情報と思うかもしれないけど、社員同士がお互いの人となりを知るきっかけになるし、コミュニケーションが生まれるきっかけにもなる。
でも、部署が違うとなかなかお互いに話す機会もないし、せっかくの情報も埋もれたままになってしまう。だからこそ、社内報で発信しようと思ったんです」
「リニューアルしてみて、社員の反応はどうでした?」
「完成した社内報を各社員の机に置くと、みんなじーっと読んでくれたんです。その光景が、本当に嬉しかったです」
「社内報以外ではどんなことをしていたんですか?」
「社員旅行を企画したり、社内イベントを企画したり、共通していたのは社内のコミュニケーションを活性化するということですね」
「たとえばどんな社内イベントを?」
「その会社は、なぜか毎年忘年会の最後に、全員で肩を組んで『サライ』を歌う文化があるんですよ」
「24時間テレビみたいですね」
「そうなの。だったら、誰か走ればいいんじゃない? と思って」
「おお!」
「少し太り気味だった社員に、『走りますよね?』って声かけて、マラソンに挑戦してもらったんです。簡単にゴールできたらおもしろくないから、本当に忘年会の終わる時間に間に合うか間に合わないかくらいの距離に設定して。それで、新卒の子をランナーの前後につけて、skypeで中継を挟んだりしながら」
「本気だ(笑)」
「『タクシーとか使ってるんじゃないか?』という疑念の声をあったので、ちゃんと中継して走っているのをアピールして(笑) 最後は無事ゴールして、全員でサライを歌いました。泣かなかったですけど、一同大爆笑でしたね」
「良い話。想像しただけで心が温まります。社員同士に、強い絆が生まれますね」
「その会社で3年働いて、会社の規模は大きくなっていたのでそこからできる事もあったんでしょうが、広報の分野においてはなんとなくやり切った感があったから、SPツールを企画・制作しているエスプライドという会社に転職したんです。事業は全然違ったんですけど、以前の会社で社内報を作っていましたと話したら、『じゃあやってくれ』となって」
前職でのノウハウを生かし、入社1年目でグループ会社の社長になった大島さん。実はこの時期、彼女には1歳の子どもがいて、シングルマザーとして子育てをしながら会社でも結果を出していた。ものすごいバイタリティーだと思う。
フリーランスに
そのエスプライドも昨年退職し、現在はフリーランスの広報や広報のコンサルとして活躍している。
「でも、どうしてフリーランスになったんですか?」
「グループ会社の社長として色々任せてもらえていたし、お客様にも恵まれていました。でもその一方で、自分の思い通りにいかないジレンマも抱えていました。
また、結婚できてプライベートは順調だと思っていたなか、立て続けに2回流産して。やっぱり年齢的にも30代後半にさしかかり、働き方とか生活スタイルについても、一度きちんと考え直そうと思ったんですよね。
なるべくストレスが抑えられて、やりがいもあって、子どもとの時間もとれて、自分らしく働ける方法を考えたら、フリーランスしかなくて。働いているママ友でフリーになった人も結構増えてきていたので、話を聞いたり相談したりして。
最終的に後押ししていただいた方の存在も大きいですが、仕事がなかったらカフェでバイトでもしよう、というくらいの気持ちで思い切って独立したら、結果的には色々お声をかけていただけて、今は全て自分の裁量で清々しく働けて、本当によかったなと思います」
「そういう経緯だったんですね」
「はい。ところで中村さん、魚釣りができる居酒屋知っていますか?『ざうお』っていうんですけど」
「そんなお店あるんですか?」
「そう。自分で釣った魚を、その場でスタッフが調理してくれて、食べられるんです」
「おもしろそう!」
「実はフリーランスになってから、そのお店の自社メディアを作るお手伝いしました」
「へー。このサイトですか。居酒屋のメディアって斬新(笑)」
「そうそう。これはもちろん社外に向けたメディアなんですけど、でも同時に社内向けのコミュニケーションツールにもなっているんです」
「なるほど、この『ざうお女子会』の記事なんか、まさにそうですね。『所沢店のS藤さんの心遣いがいい』とか、こういう情報はもちろんお客さんにとっても印象が良いし、社員やアルバイトの店員さんなんかも絶対気になりますよね」
「社訓や企業理念についても、クレドなどでストレートに伝えるのとは別に、馴染みのある文章表現で、改めて理解してもらう。ひとつの記事が社外にも社内にも良い効果をもたらしていて、一石二鳥なんです。スタッフも楽しんでコンテンツを作ってくれています」
「さすが、やり方がうまいなあ」
「ほかにも、企業や病院の業務マニュアルを制作するお手伝いをしたり、ニュースレターを作成したり、様々な仕事をしています。私個人の名刺もないし、全然営業していないので(笑)、基本的にこれまでの人のつながりの中でお仕事の依頼を受けるのですが、今はお世話になった方へ恩返しをする時期だと思っていて、自分がやりたい仕事をするよりも、やってほしいと言われたことに全てYESという方が重要です」
「でも、新しいことの連続ですね」
「本当に、初めてのことだらけなんですけど、それが楽しいんですよ。私は最近ようやく気が付いたんですが、新しいことに取り組むのが大好きなんです」
そう話す大島さんの目は、とても生き生きとしていた。彼女はキャリアを積み上げていくタイプではなく、むしろ築き上げた石組みを壊しては築いて、また壊しては新しく築いて、ということを繰り返すタイプのようだ。それは「自分が何屋なのかわからない」という彼女の言葉からも窺える。
だが、新しいことに取り組む理由は、単に「楽しいから」だけではない。ここに彼女の強さ、前向きさがある。
「これまで人生の岐路に立たされたときの自分の選択は、自分からしても破天荒だったし、今後もどうなるかわかりません。予期せぬ局面、難しい局面を迎えることだってあるでしょう。また、「こうしたい!」と思ったときに環境やタイミングが見合わないという経験もありました。
だからこそ、今はひとつのことを積み上げていくよりも、広い視野や柔軟さ、どんな状況に立たされても耐えうる強さを身につけたい、という気持ちが正直なところでしょうか。私のところに巡ってきた、『やったことのないこと』を、今のうちに『できること』にしておこう、と思ったんです。
とはいえ、やっぱり貪欲な面もあるから(笑)、並行して『やりたいこと』もやっていこう! という感じです」
「なるほど。今までやってきたこととはまた別に、やりたいことがあるんですか?」
「ありますよ〜! 『これをやるまでは死ねない』というものが(笑) でも今はまだ準備中なので、いつかご報告できる日まで楽しみにしててください!」
なんだか、かっこいい。笑いながら話す大島さんからは、「人生、まだまだこれから!」という爽やかなオーラが感じられた。