転職しようか、どうしようか。独立しようか、どうしようか。
そう悩んでいる人は、無数にいるはずだ。ぼくもそのひとりだった。
仕事を辞めるべきか。続けるべきか。自分の人生、このままでいいのだろうか。
昨年末、悩んでいたぼくの背中を誰よりも力強く押してくれたのは、友人でも家族でもなく、今は亡き岡本太郎さんの言葉だった。
「俗に人生の十字路というが、それは正確ではない。人間は本当は、いつでも二つの道の分岐点に立たされているのだ。この道をとるべきか、あの方か。どちらかを選ばなければならない、迷う。一方はいわばすでに馴れた、見通しのついた道だ。安全だ。一方は何か危険を感じる。もしその方に行けば、自分はいったいどうなってしまうか。不安なのだ。しかし惹かれる。本当はそちらの方が情熱を覚える本当の道なのだが、迷う。まことに悲劇の岐路。こんな風にいうと、大げさに思われるかもしれないが、人間本来、自分では気づかずに、毎日ささやかではあってもこの分かれ道のポイントに立たされているはずなんだ」
「もちろん怖い。だが、その時に決意するのだ。よし、駄目になってやろう。そうすると、もりもりっと力がわいてくる」
「食えなけりゃ食えなくても、と覚悟すればいいんだ。それが第一歩だ。その方が面白い。みんな、やってみもしないで、最初から引っ込んでしまう。それでいてオレは食うためにこんなことをしているが、ほんとはもっと別の生き方があったはずだ、と悔いている。いつまでもそういう迷いを心の底に圧し殺している人がほとんどだ」
「しかしよく考えてみてほしい。一方の道は、ちゃんと食えることが保証された、安全な道だ。それなら迷うことはないはずだ。もし食うことだけを考えるなら。そうじゃないから迷うんだ。危険だ、という道は必ず、自分の行きたい道なのだ。ほんとはそっちに進みたいんだ」
「結果がまずくいこうがうまくいこうがかまわない。むしろ、まずくいった方が面白いんだと考えて、自分の運命を賭けていれば、いのちがパッとひらくじゃないか」
「胸をおさえて、自分の身のうち奥深いところに無言で燃えている炎だけを見すえ、抱きしめた。ある時、パッと目の前が開けた。・・・そうだ、おれは神聖な火炎を大事にして、守ろうとしている。大事にするから、弱くなってしまうのだ。己自身と闘え。自分自身を突き飛ばせばいいのだ。炎はその瞬間に燃え上がり、あとは無。-爆発するんだ。自分を認めさせようとか、この社会の中で自分がどういう役割を果たせるんだろうとか、いろいろ状況を考えたり、成果を計算したり、そういうことで自分を貫こうとしても、無意味な袋小路に入ってしまう。いま、この瞬間。まったく無目的で、無償で、生命力と情熱のありったけ、全存在で爆発する。それがすべてだ。そうふっきれたとき、僕は意外にも自由になり、自分自身に手ごたえを覚えた」
エネルギーが湧いた。
「お金になる仕事のうち、やりたいものは何か」と考えるから、中途半端になる。お金になるかならないかは一度脇に置いて、「とにかくやりたいことをやるんだ」と覚悟を決めて、それから、「どうにかしてこれで食っていく方法はないだろうか」と真剣に考えることにした。
「たとえ社会的に評価されていなくても、無条件に生きている人のほうが素晴らしい」とも彼は言った。
人間にとって辛いのは、何かしらの理由で「本気で生きる」ことができないことだと思う。つまらないルールとか、プライドとか世間体とか、そういうものを取り払って、運命に体当たりして、本気で生きることができたら、人生は瑞々しく、爽やかなものになるはずだ。
とにかく今は、会社の外に出て、世界に出て、自分の持っているものをぶつけたい。挫折するもよし。ぶつけてみないと、わからないことがある。
書きたいことを書く。行きたい場所へ行く。撮りたいものを撮る。会いたい人に会う。覚悟を持って、好きなことをする。やりたいことをやって、食っていくんだ。
危険な道を選ぶ。「これをやったらダメになるんじゃないか」という道を。悩んでいる時点で、それが答えなのだ。「本当はやってみたい。けど・・・」の「けど」をぶち壊して進む。ダメになればいい。
死ぬときに笑って、「ぼくは生きた」と胸を張って思えるのは、どっちの生き方だ。
そう思えたとき、甘えは覚悟に変わった。
「辞めたいです」から「辞めます」に変わった。
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