何度も読み返したい日記

危険な道

投稿日:2016年11月19日 更新日:

久しぶりに、ここ最近の心境を文章にしてみよう、という気持ちが生まれた。こうして言葉にするのは初めてだけど、ぼくの中では大きな変化があった。

1ヶ月くらい前か、先の見えない状況に、精神的にドン底にいた期間があった。友人に「もう死にたい」とメールし、「死んじゃダメだよ」と励まされる場面もあった。橋の上などにいると、間違えて飛び降りたりするんじゃないかと、今でもドキドキする。

なんとか少し気持ちを取り戻し、その後、長い文章を書くことから、少し遠ざかろうと決めた期間が2週間前にあった。

たとえば11月6日、山梨県の西沢渓谷という紅葉の名所に、ひとりでハイキングに出かけたけど、そのことについて何も書かなかった。いつもの自分なら、「こんな場所へ行ってきた」と長文で投稿していたはずだ。書かないと決めたけど、やっぱり書きたかった。書きたい気持ちを必死に我慢した。なんだか発疹でもできそうだった。体験したのに書かないということは、ぼくにとって「無理をしていること」なのだと知った。

同時期、写真に夢中になっていた。写真の道に進むかどうかの可能性を、模索していた。もっとうまく撮れるようになりたい。だけど、趣味で終わらせるのか、それとも真剣にカメラマンになりたいのか、自分でもよくわからなかった。

だから、写真を撮りながら、とにかく様々な本を読み漁った。写真家の考え方にふれ、技術的なことも吸収しようとした。そのうち、「本気でやるなら、カメラマンの弟子になるか、スタジオで修行するかだ」と教えられた。それで、スタジオに興味が生まれて、その2日後に実際に行ってみて、プロカメラマンの方からライティング技術(ストロボの使い方や光の考え方など)を教わった。当たり前だけど、知らないことばかりだった。写真を仕事にすることの厳しさも知った。

スタジオに行ってみて、「これは無理だ」と小さな挫折をした。でもそれは「技術的に難しいから諦める」という感覚ではなくて、「スタジオマンになるのは違う」と直感的に、というか生理的に感じた。ぼくは箱の中で黙々と作業できるタイプの人間ではない。それは会社員生活でよくわかった。窓が小さく、真っ白な壁に囲まれたスタジオは、もっと息切れしそうだった。

そのとき、「移動」「変化」「多様性」がぼくの本質であり、自分を生かす手段だと思った。他の一切は我慢して、ひとつの場所に留まれるような人間ではない。それで、やっぱり写真は趣味だ、と思った。でもカメラマンの方から、「写真もある程度のレベルで撮れるライターは強いですよ」と言われ、それはそれでいいな、とも思った。

この半年間、試行錯誤を繰り返しながら、写真を学んできた。直接的な仕事には繋がらないかもしれないけど、それでもこの経験は無駄にはならないと思っている。素人でも、写真をうまく撮れたら、人生は楽しい。これからも、撮影は楽しんでいきたいと思っている。

しかしその前に、ぼくは生きていく道を模索しないといけない。趣味では食べていけない。やりたいことはたくさんあるし、好奇心を武器に、様々なことに手を出すのはいい。だけど、主軸がないとどれもこれも中途半端になる。「なんでもやる人」というのは、使い勝手はいいかもしれないけど、ここぞという重要な場面での仕事は降ってこない。

それで、主軸を定めようと。また今後考え方は変わるかもしれないけど、とりあえず現時点での主軸を。

夜の帰り道だったか、肩の力が抜けて、ごく自然に、「結局、書くことなんだろう」という思いに辿り着いたのが先週の話。戻ってきたといえば、戻ってきた。だけど、一度書くことから離れてみて、あるいは写真に夢中になってみて、やっとわかったことだ。海外に出てみて、初めて日本のことがわかったように。

書くこと。もう少し広義に言えば「発信すること」が、自分の主軸なのだと思う。考えてみれば、SNSやブログを始めてから、何も書かなかった日は、ほとんど一日もなかった。考えたことや気付いたこと、広めたい価値観を、広めずにはいられない性質で、ぼく自身が「メディア」でもある。

きっとぼくにとって「発信すること」は、得意とか好きとか、そういうレベルのものではなくて、イチローが野球をするとか、メッシがサッカーをするとか、カービィが吸い込むとか、そういうレベルのものなんだな、と思った。

「お金になる仕事のうち、やりたいものは何か」と考えるから、中途半端になる。お金になるかならないかは一度脇に置いて、「とにかくやりたいことをやるんだ」と覚悟を決めて、それから、「どうにかしてこれで食っていく方法はないだろうか」と真剣に考えることにする。

そのように、密かな行動と挫折と気付きを繰り返しながら、少しずつ、自分の内側に近づいてきた。この期間に読み返していた岡本太郎さんの本も、背中を押してくれた。

「たとえ社会的に評価されていなくても、無条件に生きている人のほうが素晴らしい」と彼は言った。

人間にとって辛いのは、何かしらの理由で「本気で生きる」ことができないことだと思う。つまらないルールとか、プライドとか世間体とか、そういうものを取り払って、運命に体当たりして、本気で生きることができたら、人生は瑞々しく、爽やかなものになるはずだ。

とにかく今は、世界に出て、自分の持っているものをぶつけたい。挫折するもよし。ぶつけてみないと、わからないことがある。

書きたいことを書く。行きたい場所へ行く。撮りたいものを撮る。会いたい人に会う。覚悟を持って、好きなことをする。やりたいことをやって、食っていくんだ。

危険な道を選ぶ。「これをやったらダメになるんじゃないか」という道を。悩んでいる時点で、それが答えなのだ。「本当はやってみたい。けど・・・」の「けど」をぶち壊して進む。ダメになればいい。

死ぬときに笑って、「ぼくは生きた」と胸を張って思えるのは、どっちの生き方だ。

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