インタビュー

世界の郷土菓子を研究しながら自転車でユーラシア大陸を横断したパティシエ・林周作さん

投稿日:2016年1月17日 更新日:

12510116_1078967405476847_1894499945_o

郷土菓子研究社の林周作さん。

「地球の直径の4分の1のキョリ」と言われてピンとくる人間は少ないと思いますが、彼はそのキョリを自転車で走ってきました。偉業です。

フランスから上海まで、約1万1000km。著書の出版のため、途中一時帰国を挟んだものの、ベトナムから再開された旅の後半戦を無事にくぐり抜け、年始に帰国しました。

12378133_1041358275908379_3685713539294655144_o

パティシエでもある彼は、世界各地で知られざる「郷土菓子」を見つけ、味わい、そしてレシピを書き留めて、旅をしながら研究を続けてきました。

彼と出会ったのは、偶然でした。

2013年の1月。海外旅行雑誌の編集をしていたぼくは、誌面に使うため、バスク地方の「ベレ・バスク」という郷土菓子の写真を探していました。日本人にとってはなかなかマニアックなお菓子でしたが、このお菓子を紹介しているサイトがありました。それが、林さんのサイトでした。

(一体、何者なんだろう?)

ぼくの好奇心は、ベレ・バスクよりも、彼の活動に向いていました。彼はすでに、ユーラシア大陸を自転車で横断し始めていて、確かアゼルバイジャンあたりを走っていた頃だったと思います。資金に困っていた彼を見かねて、Facebookで彼に連絡を取り、「旅のスポンサーになります」と言って、彼の旅に協賛しました。

そしたらスポンサーになったお礼として、毎月、彼が見つけた「世界の郷土菓子」を紹介する新聞が自宅に届き始めました。

10981811_944874395552816_5759023151404960833_n

11872104_980113042032903_8504170503436779354_o

「なんだこの人、すごいな」と思いました。

2014年5月に出版した郷土菓子本は、世界の料理本大賞「グルマンアワード」にノミネートされ、中国での授賞式に参加していました。

ちょうどその本が出版される直前に、一時帰国中の彼を「ツール・ド・和菓子」に呼びました。

tu-ru1

このときが初対面でした。今後は日本の郷土菓子である「和菓子」にも絡んでいきたいとのことで、ますます楽しみです。

今日は品川でランチしたあと、話が尽きず、カフェに移ってひたすら語り合っていました。林くんにとって最初の大きな自転車旅は、高校の卒業式直前に行った、横浜から京都までの旅だったそうです。

横浜で自転車を買い、友人と二人で京都を目指しました。

「初日の22時頃に、ファミレスを探していたんですけど、そのまま箱根の山登りが始まってしまって」

「は? 深夜に箱根を登ったの? 」

「ファミレスのあるところまで引き返すのもアレだったので、もう登っちゃえと思って」

「でも、真っ暗だったでしょ。ぼくも昨日走ったけど、夜は車も少ないし、まして深夜に自転車で登るなんて」

「車はいなくて、走り屋の人たちがいました。怖かったですけど、『がんばれ〜』って応援してくれました笑 あんな至近距離でドリフトを見たのは初めてでした」

「半端ないな笑」

「箱根を降りたあたりで夜が明け始めました」

「芦ノ湖は通った?」

「通ったんですかね、暗くて何も見えませんでした」

「むちゃくちゃだな笑」

「あとは、二十歳くらいのときに、バイトしていたパン屋で喧嘩して、その衝動で自転車で九州を目指しました」

「漫画みたい」

色んな旅があるものだなあと、数々のエピソードが面白かったです。ぼくも衝動的な旅に憧れます。なんだかかっこいいから。

こちらも彼が作っているサイトです。「郷土菓子(キョードガシ)」という言葉を「サムライ」「スシ」のように世界共通語にしたいそうです。

ぼくは広報として、「世界の郷土菓子」を広める彼の活動を後押ししていきたいと思います。

-インタビュー

執筆者:


comment

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

関連記事

「目が見えないから『見える』こともある」辛坊キャスターと挑んだ太平洋横断。全盲のセーラー岩本光弘さんの挑戦は続く。

まさか日本から遠く離れたサンディエゴで、岩本光弘さんにお会いする機会に恵まれるとは思ってもいなかった。2013年に、ニュースキャスターの辛坊治郎さんとともにヨットでの太平洋横断にチャレンジされた全盲の …

「お兄さん、俺プロになりたい」夢を抱いた少年に背中を見せた2年間

大学1、2年生の2年間、近所の小学校で毎週末サッカーを教えていました。といっても、コーチという立場ではありません。 ひとりで壁に向かってボールを蹴っていたある日、小学生の保護者のひとりから、「良かった …

My Eyes Tokyo 代表・徳橋功さんが照らす光

 -01- アメリカで得たもの 「もう20代も後半。大きなチャレンジをするなら、今しかない」 都内のテレビ局に勤めていた徳橋功さんは、決断した。アメリカへ渡り、カリフォルニア州のフレズノという町のテレ …

「背中で人の自発性を育てたい」ぼくがインタビューで話した人生のテーマ

ぼくが大学生の頃からお世話になっている富田哲郎さんが、渡米直前にインタビューしてくださいました。     続きはこちらで↓ 挑戦するひと・中村洋太さんインタビュー 富田さん、ありが …

【“ニッポン”の発信基地 Vol.1】「和福女子」代表・古賀百合絵さん

コラム「“ニッポン”の発信基地」では、日本文化を発信するヒトやコトに焦点を当て、紹介していく。また、近年急激に伸びている「インバウンド・ビジネス」(訪日外国人観光客向けのビジネス)にも範囲を広げていき …