インタビュー

「世界の郷土菓子を日本に広めたい」郷土菓子研究社・林周作さんの夢

投稿日:2016年3月14日 更新日:

東京・高円寺の小さなカフェに、見慣れないお菓子が並んでいる。イタリア、フランス、ドイツ、インド、アゼルバイジャン……、様々な国の郷土菓子は、まるで芸術作品のようだ。

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ここは「郷土菓子研究室」と名付けられた、期間限定のお店。オーナーである郷土菓子研究社の林周作さんは、世界の郷土菓子に魅せられ、フランスから日本まで、ユーラシア大陸を自転車で横断しながら、300以上の郷土菓子を食べてきた。帰国後、すべて自分の手で再現し、来訪客に味わってもらっている。いったい、彼はどこへ向かおうとしているのだろうか。

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京都の高校を卒業後、辻調理師専門学校 エコール辻 大阪のフランス・イタリア料理課程を卒業し、イタリア料理屋、パン屋、お惣菜屋さんを渡り歩いた。

イタリア菓子を学んだことがきっかけで、日本人が知らない、様々な郷土菓子があることを知った。華やかな主役級のお菓子よりも、地味で、その土地にしかないようなお菓子に惹かれたそうだ。最初はネットで調べ、自分が作れる範囲でお菓子を再現していった。

19歳のときには、既に「郷土菓子研究社」と屋号を名付けていたが、研究員は彼ひとり。ちなみに今も、ひとりである。

21歳ときに、郷土菓子の研究のため、3ヶ月かけてヨーロッパを回った。イタリア、フランス、スイス、スペイン、ポルトガル、ハンガリー、チェコ、オーストリア、ドイツ、ベルギー。

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「現地に行ってみたら、ネットでも出てこなかった郷土菓子がお店にたくさん並んでいて、さらに惹かれました」

帰国後は東京のパン屋で働きながら、お菓子を作り、通販で売っていた。また、ウエディングなどイベント用のお菓子も作っていた。

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再びフランスへ渡った。資金がないと生活できないので、北西部のアンジェという町のブドウ畑で働き、その後アルザス地方のお菓子屋さんで働いた。

フランスに住んでいれば、休みの時間でたくさんの郷土菓子を見て回れると思っていたが、実際にはほとんど時間がなく、満足に回れなかった。

「このまま日本に帰ってもしょうがないので、自転車で旅をしながら日本まで帰るということを考えました」

「自転車で日本までって、普通の人の発想じゃないよね(笑)」

「日本でも、横浜から京都まで自転車で走ったり、京都から九州まで走ったりしていたので、不可能ではないなと。それに、あんまり先のことを考えない性格なんですよ。そのときは、とにかく出発がしたかったんです」

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お店には、旅で使用した自転車が飾られている

2012年6月1日、フランスでの生活に幕を閉じ、飛行機のチケットの代わりに、一台の自転車を購入。大した資金もないまま、世界の郷土菓子への好奇心だけを信じて、日本を目指して走り出した。各地でお菓子屋さんを訪ね、ときに厨房を見せてもらい、レシピをメモしていった。

「一日3ユーロ」という極限まで切り詰めた旅をしていた。それで旅ができるのか、と思うが、できていたらしい。喉が乾いたら水道水を飲み、食事はお菓子しか買わなかった。お菓子屋さんでは、「お代はいいわ。私もスポンサーになる」と言われることもあったという。

宿泊は、現地の家を訪ね歩いた。リアル「田舎へ泊まろう」だ。言葉の通じない国ではどうしたのか。

「片っ端からインターホンを鳴らして、スケッチブックを広げながら旅の説明をして、宿泊のお願いをしました」

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「おいしいお菓子屋さんはありませんか?」と各国語で書かれている

初日にスイスで迎えてくれたのは、音楽家の一家だった。宿泊のお礼にと、見よう見まねで作った和菓子は、思いのほか好評だった。和菓子の食材をバッグに詰めて、昼間は自転車を漕ぎ、夜は地元の人と語らい、土地の文化にふれる日々が続いた。

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フランスからスイス、ドイツ、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、ルーマニア、ウクライナと進んでいき、グルジアに差し掛かったあたりで、ついに旅の資金が底をついた。いよいよ、旅を諦めなければいけないのか。といっても、諦めるにも、日本へ帰る資金すらなかったというのだから、本当に無謀な男である。

しかし、ウェブサイトで彼の状況を知った方々から、応援メッセージや資金援助が届き始めた。少しずつその数は増えていき、84名もの方が手を差し伸べてくれた。

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協賛者に定期的に届けられていた世界の郷土菓子を紹介する新聞

実はぼくも、その協賛者のひとりだった。たまたま彼の旅をネットで知り、応援したいと思い、微力ながら協賛をさせてもらった。林さんとは、それ以来親しくさせてもらっている。

『The Pastry Collection 日本人が知らない世界の郷土菓子をめぐる旅』という本を出版するため、2014年2月にベトナムから一時帰国。無事に本を出版し、2015年4月に、旅を再開した。

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後半戦は、東南アジア各国を訪れ、2015年末、上海でゴール。船で日本へと帰国した。

2年半で、約11,000kmを走り、世界各地で300以上の郷土菓子を食べた。帰国後はレシピを頼りにその味を再現し、イベントなどで披露する日々が続いている。

現在は高円寺にて、期間限定で郷土菓子の販売を行っている。店名は「郷土菓子研究室」。その名に恥じず、旅は「研究成果」をたっぷりと披露している。

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「今後はどう生きていきたいの?」

「今はこのように東京にお店を出していますが、日本全土から応援していただいていたので、どこの方でも食べていただけるように、郷土菓子の通販をしたり、あとは郷土菓子のレシピ本を出版する予定もあります」

「お店は期間限定だけど、自分のお店を持って、ずっとやっていくつもりはないの?」

「う〜ん、自分のお店でずっと、という気持ちは、正直ないですね。自分はまた世界へ出て、郷土菓子の研究を続けたいです。そのために、自分がお店にいなくても成り立つように、郷土菓子の作り手を増やしていきたいと思っています」

「林くんの夢は何?」

「カステラって、ポルトガルで生まれたお菓子じゃないですか。でも今は、普通に日本のお菓子になっていますよね。ぼくが紹介する郷土菓子が、そういう風になったらいいなって思うんです。たとえばアゼルバイジャンの『シェチェルブラ』というお菓子が、100年後に当たり前のように、日本のお菓子になっていたら、うれしいです。そうなるように、郷土菓子の魅力を、たくさんの日本人に広めていきたいです」

フランスから日本を見たときよりも、もっと遠く離れた世界を、見つめている。彼の壮大な旅は、まだまだ、始まったばかりなのかもしれない。

-インタビュー

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