インタビュー

「ヨコスカネイビーパーカー」は通過点。八村美璃さんの終わりなき旅

投稿日:2016年3月21日 更新日:

昨年、フジテレビ「Mr.サンデー」の中で、横須賀の女子高生たちの、ある取り組みが特集された。

「“人口減少日本一”の街を救え‼︎ ヨコスカネイビーパーカー物語」

というタイトルだった。

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当時、横須賀高校3年生だった八村美璃 さんは、大学への推薦入学が決まっていたものの、どこか不完全燃焼な部分を感じていたそう。そんなとき、

「こういうのがあるんだけど、やってみない?」

と教師が見せてくれたのが、「横須賀学生政策コンペ」のチラシだった。横須賀の高校生・大学生らが、地域の課題について政策提案を行うというもの。

「やります!面白そう!」

八村さんはすぐに同級生の仲間を集めてチームを作り、横須賀市にどんな課題があるのか、話し合った。

横須賀を訪れる観光客は増えているけど、実は横須賀は、人口流出では日本一の街。

「だけど、横須賀にはすごいポテンシャルがある。もっと市民が、そのことに気付いてほしい。横須賀に住んでいることに、誇りを持ってほしい。

何か、市民から横須賀を活性化するための、ツールとなるものを作れないかな」

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ある日、八村さんが学校から帰る途中、自転車に乗りながら閃いたのが、「ヨコスカネイビーバーガー」をもじった、「ヨコスカネイビーパーカー」というアイデア。冗談のようだけど、彼女たちは本気だった。

「市民のためのパーカーを作り、これを地元愛を表現するためのツールであったり、市民に一体感や関心を持たせるためのツールにしたい」

そんな思いをプレゼンしたところ、見事コンペでグランプリを獲得。40万円を借金して150着のパーカーを製作し、ドブ板通りで販売したところ、わずか2日間で完売してしまった。

関連記事:神奈川・横須賀の学生が考案…地域愛生まれるパーカー(読売新聞)

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真っ直ぐで、一生懸命で、逆境を乗り越えて成功させた感動のエピソードに、込み上げてくるものがあった。ぼくは放送を観たあと、すぐに会いに行って、お話を伺った。

「思い通りにいかなかったとき、そこで落ち込むんじゃなくて、これも縁で、きっと何かに繋がっているんだろうな、と前向きに捉えるようにしています。そしたら、出逢うはずのなかった方に出逢って支えていただいたり、思わぬ角度から問題が解決したり、不思議なことがこれまでにたくさん起こりました」

10代とは思えない落ち着きと、立派な考え方に、驚いてしまった。

そして昨日、10ヶ月ぶりに再会し、近況を聞かせてもらった。

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ヨコスカネイビーパーカーの人気は衰えず、さらに2回の追加販売で、計1000着を売り切ったそうだ。メンバーはそれぞれ別々の大学生活を送っているので、一度ここで区切りとし、販売を休止することにした。

八村さんも、自分のこれからについて、思いを巡らせている。

「私は、たくさんのことに興味があって、自分が何をする人間なのか、まだわからないんです。だけど、今まで音楽や演劇、それからパーカーの活動を通して共通していたのは、目の前の対象のポテンシャルを引き出して、そこに自分の感性を投影する、ということでした。

よく『地域活性化』だねと言われるんですけど、私は横須賀が好きで好きで仕方なくてネイビーパーカーの活動をやった、というわけではなくて、地域活性化のためにやったのではなくて、自分が横須賀のポテンシャルに気付いたから、それを引き出したかった。そして自分が楽しんでやったことが、結果として地域の活性につながっていたのだと思います。

私には『これをやりたい!』という『これ』に当たる絶対的なものがないんですけど、これから様々ことに挑戦するなかで、自分の色を深めつつ、自分の感性を知りたいです。ポケモンのようなイメージなんですけど」

「ポケモン?」

「主人公が、マサラタウンを出て、隣のトキワシティに行って、さらに違う町に行くたびに、様々な人に出会って、強いポケモンや強いジムリーダーに遭遇して、少しずつレベルが上がっていくじゃないですか。今の私も、そうだと思って。横須賀を出てから、もっと広い世界を見て、進化していくんだと思います」

高校時代に、ヨコスカネイビーパーカーでひとつ道を拓いたが、そこに安住することなく、また次の目標に向かっている。きっと道を拓き続けるのだろう。

「終わりはないですよね。どこまでいっても、ここが最高地点、というのはない。いろいろな挑戦をして、自分の感性を、もっともっと高めていきたいです」

1996年、『ポケモン』と同じ年に生まれた。彼女の終わりなき旅は、まだ始まったばかりだ。

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-インタビュー

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