以前、興味深い話を聞いた。長野県の白馬村の公立高校で、2014年から「観光英語」という授業が選択科目としてスタートしたそうだ。
夏は登山、冬はスキーを楽しめる白馬村には、一年を通して多くの外国人観光客が訪れる。「観光英語」は、白馬を訪れる外国人観光客に接するために必要な英語力の取得を目的としており、具体的には、インフォメーションセンターでの案内やレストランでの対応、ホテルのフロント対応、各種ツアーガイドなど、現場で実際によく使用する英語をシチュエーションごとに学ぶのだという。
教室内でロールプレイング形式で会話練習をすることもあれば、実際に1日ツアーに出かけてガイドから直接学んだり、インフォメーションセンターやゲレンデなど現場に出かけて、訪れている外国人観光客と実際に話をすることもある。
まさに観光地ならではの授業なのだが、高校生にとっては日常ですぐに使える生きた英語が身に付き、地域にとっても即戦力になる人材育成となるため、大きな意義がある。
また、旅行者にとっても、バスやゴンドラを待っている時間に、地元の高校生たちが少し恥ずかしがりながらも英語を使って一生懸命話しかけてくるのがうれしく感じるようで、滞在の満足感向上の要因になっているという。
「生きた英語」を学ぶためには、外国へ行かねばならない。それがこれまでの常識だった。しかし今は、白馬村のように、生の外国語にふれあい習得できる場所がいくつもありそうだ。
今ぼくはサンディエゴで英語を勉強しているが、アメリカの語学学校の良さは、先生がネイティヴであること以上に、生徒が外国人ばかりであることだと思う。
サウジアラビア人、ブラジル人、トルコ人、タイ人、中国人、ベトナム人、リビア人、イタリア人、韓国人、イタリア人、アルゼンチン人、そして日本人。それぞれのバックグラウンドが色濃くぶつかり合う。単純にそれだけで、日本ではなかなか味わえない、貴重な体験をしている。
真面目に聞かない生徒がいたり、生徒の年齢差が大きかったり、そういうことも含めて、様々な勉強になるし、英語を学ぶだけじゃない経験が得られる機会だと感じている。
日本で英語を学びたい外国人を優遇するような仕組み(たとえば外国人の授業料を破格で提供しクラスを外国人で溢れさせ、真剣に学びたい日本人生徒から収益を上げるようなマネタイズ方式)を作ってしまえば、そういう独特の環境を日本でも作れるのではないだろうか。英語の教え方とか教材以上に、英語オンリーかつ英語の間違いを気にしなくても済むカオスな環境はとても重要。生徒が日本人ばかりだと、どうしても周囲の目を気にしてしまいがちだから。
良くも悪くも、それが日本人。実際、良いところもちゃんとあって、真面目さ、勤勉さ、精確さ、これらは日本人にとっては当たり前のものだが、海外では素晴らしく評価される。
白馬村のような環境が日本にあることは非常に貴重で、もし「英語を学びたいが、留学は資金的に問題がある」という場合は、国内の外国人観光客で賑わう場所で、住み込みで働くのもありだと思う。大学生なら、夏休みや春休みを使ってアルバイトをしながら滞在するのもいいだろう。
白馬高校では、2016年4月から、「国際観光科」が設置された。観光地域づくりをけん引する人材、観光を通じて地方創生に貢献できる人材、観光のグローバル化に対応できる人材の育成を目指している。
「観光を通して生きた英語を学ぶ」
このような動きが、東京や京都をはじめ、全国的に広まるといい。留学生が多くいるAPU(立命館アジア太平洋大学)のある別府などでも、何かおもしろい取り組みができないだろうか。数年後には、「国内留学」が当たり前の時代がやってくるかもしれない。