まさか日本から遠く離れたサンディエゴで、岩本光弘さんにお会いする機会に恵まれるとは思ってもいなかった。2013年に、ニュースキャスターの辛坊治郎さんとともにヨットでの太平洋横断にチャレンジされた全盲のセーラーだ。
岩本さんは2006年からサンディエゴに移住し、鍼灸師として活動している。
実はサンディエゴで鍼の勉強をしているルームメイトのレイさんが、奇遇にも岩本さんのお弟子さんであり、「洋太くんに会わせたい」と今回ご紹介してくださったのだ。
あの太平洋横断の挑戦は残念ながら失敗に終わったが、当時日本中で大きなニュースになったのでぼくもよく覚えている。途中でクジラに衝突し、ヨットが転覆。救助要請が出され、自衛隊によって無事助け出された。
「無謀なチャレンジだったのでは」「準備が甘かったのではないか」など、そう思われてしまうのも仕方ないかもしれないが、それにしてもネガティブな報道が多く、「勇気ある挑戦なのに、批判されてばかりでかわいそうだな」という想いを抱いたことを記憶している。
ただ、やはり辛坊さんへの注目が大きかったため、岩本さんについては、どんな人物なのかよく知らずにいた。わかっていたのは全盲の方ということだけ。しかし実際にお会いしてみると、極めてポジティブかつ積極的な人物で、悲壮感などは全く漂ってこない。
岩本さんは、2002年からヨットの世界に傾倒し、世界選手権への出場経験もある。ただでさえ簡単な競技ではないはずなのに、全盲の人間がヨットにチャレンジするのだから恐れ入る。
想像してみてほしい。あなたがずっと目をつむって何も見えない状態のまま、2ヶ月間も海の上で過ごすことを。嵐も発生するし、クジラも出てくる海の上にだ。
ところで、太平洋横断の挑戦は、どのような経緯で始まったのだろうか。
「間寛平さんが、地球一周のアースマラソンをしたでしょう。ある日、『KAZI』というヨット雑誌に、あのアースマラソンで太平洋と大西洋を横断したエオラス号についての記事があったんです。今は誰にも使われずに、淋しがっていると。『夢を持っている人はどうぞこの船を!』と書いてあったのを見て、編集部にメールを送りました。そしたらオーナーの比企啓之さんという方が、サンディエゴまで会いに来てくれました。熱意を伝えて、使わせていただけることになり、辛坊さんに相棒をお願いすることになりました。辛坊さんも、もともとヨットが好きな方で、その雑誌に連載を持っていたほどです」
きっかけは、編集部に送った一通のメールだった。情熱を伝えることの大切さを教わるエピソードだ。
そして今回驚いたのは、岩本さんが来年もう一度、太平洋横断にチャレンジするという話。
相棒になってくれるアメリカ人がつい先日決まったそうで、2018年にサンディエゴを出航し、2ヶ月間かけて横浜を目指すという。まだまだ、彼は諦めていない。
「見えない中でも挑戦することが、自分の役割だと思っています。環境は変えられないけど、見方は変えられます。ハンディキャップを背負った自分が挑戦するからこそ、与えられる勇気がある。それに、目が見えないから『見える』こともあるんです」
半年間にわたり岩本さんを取材をした記者の言葉を思い出した。
「わたしは大阪・北港での練習風景を見学したが、見えているとしか思えない岩本さんの華麗なロープ捌きに驚いた。『見えないからこそ、余計な動きがないのでしょう』とは、辛坊さんの解説である」
「今は、来年の再チャレンジに向けて、スポンサー企業を探しています。また、日本やサンディエゴで講演の機会も増やしていきたいです」
もし応援していただける方や、ご紹介していただける方などがいらっしゃったら、ぜひご連絡いただきたい。
「あのとき死んでいたら、こうして中村さんとも会えなかった」
ははは、と笑いながら言う。貴重なお話を聞かせていただいた。