アラスカの秋は、3週間ほどと、とても短いです。8月下旬に黄葉が始まったかと思うと、9月下旬にはもう雪が降っています。しかし、この一瞬の輝きは見逃せません。
野生動物たちは冬眠に備えて、食糧を蓄えるべく最後の活動を始めます。道を走れば、木々の黄葉がどこまでも続き、その奥には低木が赤く染まる山々を見渡せます。そしてこの時期からオーロラを見ることもでき、秋はアラスカの魅力が凝縮した季節だと思います。
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グリズリーベアの聖地 カトマイ国立公園
秋のアラスカの旅で忘れられない体験だったのが、カトマイ公園の訪問でした。ここは世界最大のグリズリーベア(ヒグマの一亜種)の禁猟区として知られています。この国立公園に行くには、州都アンカレッジからキングサーモン(面白い地名!)へと国内線で飛び(約1時間40分)、さらにそこから小型の水上飛行機で25分ほど飛ぶ必要があります。
ところで広大なアラスカでは、水上飛行機が交通手段として一般的になっています。道路が通っていない場所も多くあり、そこに生きる人たちは水上飛行機に乗ってアンカレッジなどの町にやってきます。アラスカ全土で約55人にひとりの割合で自家用セスナを持っているというから驚きです。アンカレッジ市内のスピナード湖は水上飛行機の離発着回数が世界一多い場所で、数分待っていれば水上飛行機の飛び立つ瞬間を見ることができます。
カトマイ国立公園の話に戻りましょう。この公園内にはキャンプ場の他には宿泊施設がたったひとつありません。唯一の宿である「ブルックス・ロッジ」は、一泊素泊まりの料金は約7万円。それでもベストシーズンとなる7月の予約は2年先まで埋まっているというからさらに驚きました。キャンプ場も、その年の1月に予約が開始されると、あっという間に埋まってしまうそうです。
だからほとんどの観光客は、アンカレッジから日帰りツアーで訪れることになるのですが、その手段でも結局7万円ほどかかります。国内線と水上飛行機を利用するため、どうしても高額なツアーになってしまうのです。
そのような土地ですから、ぼくがツアー添乗員としてカトマイ国立公園を訪れることができたのは、本当に貴重な体験でした。人生でもう二度と行けない場所だと思います。
カトマイ国立公園に到着
カトマイ国立公園に着いて、まずはレンジャー(国立公園のスタッフ)からレクチャーを受けました。公園内で食べ物を持ち歩いてはいけないこと、決められた場所以外で食べてはいけないこと、そして万が一グリズリーベアに遭遇したときの注意点などを聞きました。
その後は帰りの水上飛行機の出発時間まで、自由に散策することができます。野生のグリズリーベアを安全に観察できる場所は2カ所あり、ぼくはさっそくカメラを準備して施設を出ました。そして歩き始めてすぐに、黒い物体が20メートル前方をゆっくりと横切りました。まぎれもなくグリズリーベアでした。
こんなの聞いてない!ぼくは柵のついた展望台から観察するものだと思っていたので、こんなにもあっさりと道で遭遇するとは予想外でした。4本足で歩いているので正確にはわかりませんが、大きなものでは体長3メートルを超えるらしいです。
しかし自分の中で、驚きが感動へと変わっていくのを感じました。ここは動物園とは違う、大自然の真っただ中。人間は自然の一部に過ぎず、小さな小さな存在なのです。
グリズリーベアとの予期せぬ遭遇
そして、一番の出来事は、ブルックス滝という展望台へ向かう途中の森で起きました。ひとりで森の中の一本道を歩いていたら、グリズリーベアが正面からゆっくりと向かってくるではないですか。距離は約25メートル。しかも、3匹の子どもを連れています。
心臓の鼓動が速まるのを感じました。「こっちに走ってきたらどうしよう」。恐れながらも、無意識にカメラを構えていました。しかし手が震えて、どうしてもブレてしまいます。
レンジャーに教わったとおり、手を叩いて「Hi, Bear」と笑顔で呼びかけました。彼らは最初ぼくの存在に気付いていませんでしたが、呼びかけたらこちらを向きました。そして後ろの3頭の小グマが「だれだれ?」という様子で、一斉に二本足で立ち上がってぼくの方を見ました。それはすごい光景でした。
「大丈夫だよ。敵じゃないからね」と話しかけながら、ぼくはゆっくりと後ずさりしました。後ろを振り返ってはいけないし、走って逃げてもいけません。走って逃げると彼らは面白がって追いかけてくるのだそうです。時速50~60kmで走るグリズリーベアから逃げることなんてできません。
彼らのことを見つめながら、少しずつ距離を離しました。しばらくすると、森の中に消えていきました。助かった……。ひと呼吸おいてから、「すごい体験をした」と感じました。野生のグリズリーベア4頭に遭遇したのです。この二度とできないような体験に感動しました。
その後、無事にブルックス滝に辿り着き、サーモンに食らいつくグリズリーベアを見ることができました。こちらもすごい迫力だし、とてもよかったですが、やはりさっきの感動には敵わなかった。柵のある場所から一方的に眺めるのと、森の中でばったり遭遇するのとでは、緊迫感が異なります。
帰り道にも、また森を抜けたところで2頭のクマに遭遇しました。今度は少し落ち着いて写真を撮れました。ぼくはグリズリーベアがとてもかわいらしく思えました。ここには彼らの食糧であるサーモンが豊富にあり、食べ物に困っていないから、人を襲うことはまずありません。でも、別の場所だったら襲われていたかもしれません。安全をほぼ約束された状態で野生のグリズリーベアに遭うのは、もうこの先ないでしょう。幸運な体験でした。