日本の魅力を発信するのが、必ずしも日本人であるとは限らない。震災後、日本のために行動を起こしたひとりのスイス人を紹介したい。偉大なチャレンジの背景には、日本への底知れない愛があった。
2012年2月6日、スイス人のトーマス・コーラーさんに、観光庁から感謝状が贈られた。
ぼくはその翌日、「観光庁、日本縦断のスイス人男性に感謝状」という見出しの小さな記事を、たまたま旅行業界のニュースで見つけて、彼のことを知った。
トーマスさんは、スイスの旅行会社で働いていて、日本へのツアーの企画や営業を担当していた。しかし2011年の東日本大震災後、旅行のキャンセルが相次いだ。
「日本は放射能に汚染されてしまった」
ヨーロッパでは現実に、事実とは異なる報道がされていた。日本へ旅行する人がいなくなれば、当然トーマスさんは職を失うことになる。転職しようと思えば、いくらでもできただろう。だが、彼は違う道を選んだ。
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「大好きな日本に恩返しがしたい」
トーマスさんは、30歳のときに日本に留学経験があり、素晴らしい時間を過ごしたそうだ。日本のことも、よく知っていた。
「日本はとても大きく、原発事故があったのはその一部の地域に過ぎない。日本の大半は安全だ。それなのに、まるで日本全土が放射能に汚染されたような報道がされている。大きな誤解だ」
トーマスさんは、決意した。北海道の最北端・宗谷岬から、鹿児島県の本土最南端・佐多岬まで、徒歩で日本を縦断しようと。そして、日本が安全であること、日本にはたくさんの魅力があることを、ブログで発信しようと。それが、大好きな日本への恩返しだった。
ちょうど同時期、スイスで新聞記者をしていたヤン・クヌーセルさんも、「かつて留学していた日本のために、何かできることはないか」と、思いを募らせていた。
知り合いであったトーマスさんから日本縦断の計画を聞き、3年間勤めた新聞社を辞めて、「映画を撮りたい」と申し出た。ニューヨークで映像関係の仕事をしている兄のステファン・クヌーセルさんとともに来日し、歩き続けるトーマスさんに、カメラを回し続けた。
日本人が気づかなかった、日本の良さ
一年がかりで完成したドキュメンタリー映画『negateve: nothing』の上映会が、2013年のある日、青山のドイツ文化センターで行われた。
78分間の、素晴らしい映画だった。小さな会場は満席になったが、お客さんは年配の方がほとんどだった。ぼくは10代、20代の人こそ、この映画を観るべきだ、と強く思った。この映画には、人間にとって大切なものを奮い立たせる力がある。
2900kmにおよぶ徒歩の旅を続けながら、トーマスさんは英語で、ドイツ語で、そして日本語で、ブログ(Zu Fuss durch Japan / Walking through Japan)を更新し続けた。毎回、ブログの最後に綴られた「negateve: nothing(今日もネガティブなことは何もなかった)」という意味の言葉が、映画のタイトルになった。
トーマスさんは、すげがさを頭に被りながら、毎日20~30kmを歩き続けた。道中、たくさんの日本人に励ましの声をもらった。旅の足しにと、1000円札をくれた通りすがりの人、スポーツドリンクをくれた少年、「一緒に歩かせてください」と言い、一日をともに歩いた男性……。知られざる日本人の、温かいエピソードは尽きない。
日本縦断のドキュメンタリー映画だから、舞台はほとんどが田舎で、登場するのは普通の日本人のみ。それでもこの映画を観たスイス人は、「日本に行きたくなった」と口を揃えるそうだ。スイス人だけではない。日本人である自分ですら、この国の素晴らしさを再認識することになった。「日本人が気づかない日本の良さ」が、この映画には詰まっていた。
想いを形にすると、想像以上の感動が生まれる
日本縦断、2900km。トーマスさんが鹿児島県の佐多岬にゴールした場面で、ぼくは涙がこぼれた。他人の旅なのに、どうしてこんなに感動するのだろう。
一日20km歩く。これはやろうと思えば、誰だってできることだ。でもそれをコツコツと続けて、ついに日本を縦断する。誰にでもできることだけど、誰もがやらないこと。そして、その体験をブログで発信し、体験を共有した。
様々な苦労をしながらも、たくさんの人との出会いがあり、応援があり、自分のやりたいことを少しずつ形にしていく試み。そして、その小さな挑戦の積み重ねが、ゴール地点で大きな感動につながったのだろう。
トーマスさんは、今も日本のために、活動を続けている。
映画『negateve: nothing』は、このサイトからネットでいつでも観られるようになった。
撮影したヤン・クヌーセルさん、ステファン・クヌーセルさんとは、会場で挨拶することができた。
トーマスさんとも、SNS上ではあるが、感謝のメッセージを伝えられた。
東日本大震災から、6年が経つ。トーマスさんのチャレンジを、ひとりでも多くの人に伝えたいと思い、この話を紹介した。