来週月曜日からの国内出張のため、キャリーケースと雪用の靴を買った。初めての国内出張、初めての冬の東北だ。
キャリーを家に置いて、今度は表参道まで、自転車で走った。
渋谷で自転車を漕いでいるのが新鮮だった。
二子玉川から表参道まで、自転車で35分くらいだった。徒歩と電車で行くよりも、早かった。
いつものように、鍋ちゃんに髪を切ってもらった。
その後、二子玉川方面に戻りながら、勉強するためのカフェを探していた。
用賀でスターバックスを見つけたので、入ろうとしたら、
「チケットはお持ちでしょうか?」
と言われた。
「チケット?」
実はこのお店、しばらく改装工事をしていたらしく、明日からリニューアルオープンとなるそうだ。
それに先立ち、「招待チケット」を持っている方のみが、ひと足早く店舗を利用することのできるという、特別な日だった。
(残念だけど、また今度来よう)
いつもの癖で、お店の外観写真を撮っていたら、またさっきの店員さんがやってきて、声をかけてきた。
「お客様、失礼ですが、以前も当店をご利用いただいておりましたか?」
はい、と言えば、きっとすぐに中へ入れてくれたのかもしれないけど、嘘はつけない。
「いつもは、二子玉川のスターバックス(玉川三丁目店)を利用しているんですけど、今日はたまたま自転車だったので、遠出してきました」
「そうだったんですか!あそこのお店のバリスタさんたちには本当に尊敬しています」
「素敵な方たちですよね!仲良いですよ!以前、あのお店で写真展もやらせていただきました^^」
「えー!・・・よろしければお客様、特別にチケットをお配りいたしますので、ぜひご利用ください」
「いいんですか!?ありがとうございます!」
招待チケットは、ドリンク券も兼ねていた。好きなドリンクが無料になり、ケーキまでいただいた。素敵な店内だった。
ところで、このお店に来る途中、世田谷線の「松陰神社前」という駅を通り過ぎた。
ふと、松陰神社?と気になった。吉田松陰の小説を読んでいたからだ。もしかして、吉田松陰に関係のある神社だろうか、と思い立ち寄ったら、まさにそうだった。
松陰を祀る神社だった。先生に感謝の意を捧げてきた。ぼくは心底、吉田松陰という人物を尊敬している。常に活動を止めない男だった。
国外へ行くことが「死罪」とされた鎖国時代、死をも恐れず、ペリーの船に乗り込み、アメリカへ連れていってくれと頼み込んだ。結果、断られ、捕まり、大犯罪者となった。
獄中にもかかわらず、松陰は明るい。彼は詩の得意な囚人からは詩を学び、習字の得意な囚人からは習字を学び、獄中の生活を「授業の時間」に変えてしまった。何からでも学ぶ癖があった。
そして囚人たちはやがて、互いに教え合い、学び合うようになった。松陰は、私には教えられる特技がないので、と大好きな「孟子」の講説をした。その教えに、涙を流す者までいたという。囚人たちからも「先生」と崇拝され、後にその囚人のひとりを松下村塾の講師にまでしている。
松陰は、無茶苦茶な人間だった。失敗しても挫折しない。前向きで、すぐに次の行動に移る人間だった。
獄中にいながら、囚人の制度についての提案までして、藩主に届けているほどだった。
ぼくは今、28歳。松陰は29歳で生涯を閉じた。その短い生涯で、明治維新の土台を築き上げた。
後年、松陰は松下村塾で、弟子たちに言った。
志を立てるためには人と異なることを恐れてはならない
世俗の意見に惑わされてもいけない
死んだ後の業苦を思い煩うな
目先の安楽は一時しのぎと知れ
百年の時は一瞬にすぎない
君たちはどうかいたずらに時を過ごすことなかれ
物を見よ、とも言った。
実物、実景を見てから事態の真実を見極めるべきである。
彼は、自分の足で土地や人を訪ね、そこで見たもの、学んだものから、何をすべきかを考えた。空論ではない。どんなに突飛な発想に思われようが、彼にとっては、実感のある発想だった。
そういう物の見方、考え方を、大切にしたい。
ぼくは、すごい人を紹介して、虎の威を借る狐のように生きていた昨年の自分よりも、悩みながら、もがきながら、けっして綺麗な生き方とは言えない、今の自分の方が、好きだ。
主体が、他人の人生ではなく、自分の人生になっている。自分の物語を築き上げようとしている。だから、このもがいている時間も、きっと無駄にはなるまい。
松陰さん、あなたがこの時代に生きていたら、友達になりたかった。一緒に、日本や世界を歩いてみたかった。いろんな話をしたかった。
今は、外国に行っても死罪にはならないんです。西洋の文明を自分の目で見たいと願いながら、ついに叶わなかったあなたにとって、心底羨ましいと思うでしょうね。
でも、ぼくにはあなたの行動力が羨ましい。まっすぐで素直な心が羨ましい。あなたのことを思うと、涙が出てきます。
志は、受け継ぎます。
挑戦は続く。