高校野球や合唱に感動するのは、その一瞬に賭ける練習風景が想像できるからかもしれない。
昨日観たミュージカルもそうだ。歌、踊り、そして寸分の狂いも許さない緻密な舞台進行・・・。
「この本番のために、どれだけの時間を費やしたのだろう」と思わざるを得なかった。
芸術の裏には、孤独が存在する。
だから芸術を鑑賞するときには、作者の孤独を想像するのがいいと思う。
森博嗣も、「芸術とは、孤独を美に変えたものだ」と言った。
人の美しさというのは、成功というよりはむしろ失敗の中に、結果というよりはむしろ過程の中に含まれている気がする。
ぼくが挑戦に対して美しさを感じるのは、挑戦が「失敗」の連続であり、成功への「過程」であるからかもしれない。過程とは軌道。ただし、孤独な軌道である。
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「軌道の美しさ」を追求した日々
新撰組副長の土方歳三は言った。
「男の一生は、美しさをつくるためのものだ。自分の。俺はそう信じている」
お金は使わなければ維持できるが、人の美しさは、挑戦しなくては維持できないのかもしれない。
ぼくは一生を賭けて、自分の美しさを築き上げたいと思っている。自分の人生を、最高の芸術作品に仕上げたいと思っている。
迷うことや悩むことも多いけど、それも全部ひっくるめての「過程」だし、長い目で見れば「美しさ」の一部なのだと前向きにとらえている。
ただし、「見せかけの挑戦」に、美しさは存在しない。
見せかけか本物か、それは自分ならわかるはずだ。他人は騙せても、自分は騙せない。だからこそ、自分に正直でありたい。
弱い存在だから、たまには見せかけの挑戦もしてしまうだろう。だけど、自分を責める必要はない。そういうときは、「これはあくまで見せかけだ」と認めればいい。
弱い自分を認めること。そして信じること。素直で正直である限り、必ず軌道は正される。それこそが、美しさの軌道なのだ。
このことを忘れず、自分を戒めるためにも、ぼくは毎回最後に、同じ言葉を書くようにしている。
挑戦は続く。