3月16日から23日まで、ミャンマーへ行っていた。
旅の経緯についてはこちらの記事に書いた。
玉川聖学院のスタディーツアーに同行したのだが、この記事では学生たちに関することは一度脇に置いて、10枚の写真を通して見えたミャンマーの今を伝えてみたい。断片的な情報だけれども、何かの参考になれば幸いである。
目次
タナカー
子どもから老人まで、多くのミャンマー人が頬に「タナカー」と呼ばれるものを塗っている。これは既製品のクリームではなく、各自が家で作る。マーケットに売っているタナカーの木を、石の台の上で水と混ぜ合わせながら擦り、直接顔に塗る。日焼け止めの効果がある。旅行者が塗ると現地の人に好反応。
出稼ぎの女の子
飲食店で働いているこの女の子は、中学生の年齢だけど、お金がないから学校には行けない。地方からヤンゴンへ出稼ぎに来て、働いたお金を親に送っているのだそう。こういう子が、ミャンマーには多くいる。
国を想う気持ち
モン族出身のティントゥーアンくん(23歳)の国を想う気持ちは人一倍強い。彼は以前ミャンマーで出会った京大生の生き方に衝撃を受け、それ以来日本人をリスペクトしているそう。ミャンマーの教育制度の問題点は、「勉強=暗記すること」だと先生も含めて信じていること。教わった通りにやることが正解で、先生に意見を言うなんてご法度モノ。自分の頭で物事を考えることに自体に慣れていないという。だから日本人が自分の意見を話す、その当たり前のことに衝撃を受けたそうだ。「いつか日本へ行ってみたい」と話す彼の目は輝いていた。
ミャンマーで起業した日本人
ミャンマーでは、駐在員として多くの日本人が働いている。それだけでなく、この国で起業する日本人もいる。新谷夢さん(左)は、観光客がお土産として買えるようなクッキーをヤンゴン最大のボージョー・アウンサン・マーケットで売っている。ミャンマーに来るまでは、日本の地方銀行で働いていた。この国で暮らしてもう5年になるが、人々の生活のペースが自分に合っているのだそうだ。
村上由里子さん(右)は新卒でルワンダに行きゲストハウスを建て、現在はミャンマーで事業を立ち上げ。お手伝いさんの人材派遣会社を設立し、奔走する日々だ。ふたりとも自分と同い年の女性とは思えないくらい、この国でたくましく生きている。
慢性的な渋滞
ヤンゴンは慢性的な渋滞が解消されたら、きっと色んなものが良くなると思った。まったく進まない。ひとつの信号が5分近く青信号にならなくておかしいと思っていたら、信号の切り替えを人がやっていた。この国最大の都市でさえ歩行者信号はほとんどないし、あっても機能していない。みんな車の進行を遮りながら、勝手に道路を渡る。本来15分で着く距離が、1時間以上かかる。歩いて5分で着く距離が、30分かかった。その事実に対して、ミャンマー人はあまりに無頓着過ぎる。「渋滞問題は後回し」と言われたが、事故が原因ではなく、毎日当たり前のように起こっているこの渋滞による経済的損失は計り知れない。他国の状況を知らないから、「渋滞は仕方ないもの。変えられないもの」という思いがあるのかもしれないが、道路交通法を含めた交通インフラの整備は、個人的には超優先課題だと感じる。
背後の存在
「いずれ第二のスーチーさんになるかもしれない」と期待されているパパハン議員のスマホケースには、くまモンのシールが貼ってあった。聞いてみると、日本のキャラクターだとは知らず、単にマーケットで見つけてかわいいから買ったのだそうだ。「こうした日本の商品がマーケットで売られいるの?」と聞くと、実情がわかった。「いいえ、売っているのは中国人たち。彼らが日本のキャラクターを勝手に真似して商品にしているだけね」これはほんの一例だが、この国ではいたるところで中国人が幅を利かせている。
首都ネピドー
ミャンマーの首都はヤンゴンではなく、ネピドーである。かつての軍事政権が何もなかった広大な土地に作った首都なのだが、これは紛れもなく負の遺産であると感じた。無数にあるホテルはどこもガラガラ。巨大過ぎる国会に続く道は、片側10車線、両側で20車線ある。ほとんど車の通らないこの道が、どうしてシャンゼリゼ通りよりも広い必要があるのか。
それだけではない。各省庁との距離が、あまりにも遠い。日本の省庁は霞が関にコンパクトに固まっている。いったい何を考えて、ここまで施設を離したのか。ちなみにネピドーはヤンゴンから車で6時間かかる。それだけでもバカバカしくなる遠さだ。「軍は自分たちの利益しか考えていない」と多くのミャンマー国民は言うが、ぼくも実際に訪れてみて呆れた。自分たちの生産性すら考えられなかったのか。これでは国会に行くまでの時間で色々なことができてしまう。この国の上層部の人たちは、「他国を参考にする」という発想がなかったのだろうか。ミャンマーを訪れる前から軍事政権時代の悪事を散々聞かされていたが、百聞は一見に如かず。本当によくわかった。ネピドーに投入したお金を国民のために使っていたら。スーチー政権になり、良い方向に変わることを切に願っている。
学校へ行けなくても
23歳のチョウチョウは、10歳の頃から世界遺産バガンの遺跡で物売りをしている。学校にも行けない彼女が、商売のために身につけたのが語学だった。「観光客と接するうちに自然と覚えた」というが、本当だろうか。日常会話程度であれば英語・フランス語・ドイツ語・スペイン語・日本語・中国語など6カ国以上を操る。遺跡の解説を日本語でしてくれた彼女に胸を打たれ、お金を渡そうとしたら、なんと拒まれた。「自分の故郷について紹介するのは当然のこと」と誇り高い。何もしなくても「マネープリーズ」と近寄ってくる人間もいる中で、彼女の姿勢はとても立派だった。このような優秀な子こそ、ヤンゴンや海外で勉強して、国のために頑張ってほしい。
幻想的なバガンの朝日
世界三大仏教遺跡に数えられるバガンの遺跡群。朝日の幻想的な光景は素晴らしかった。「昔に比べて緑が少なくなった」と現地の人は言うが、まだまだ良さを残している。
人が財産
滞在中、多くのミャンマー人と出会った。州議会の議長をはじめ、偉い人とも話せた。感じたのは、人の良さである。みんな笑顔で接してくれ、親切にしてくれる。交通、通信などのインフラをはじめ、まだまだ多くの課題を抱えているが、この国の財産は人にある。国民による投票が国を変えたし、優秀な学生たちも育ってきている。この国の発展を陰ながら応援していきたい。
<終わりに・玉聖の皆さまへ>
一緒にミャンマーへ行った玉川聖学院の卒業生たちに感謝しています。おかげで、とても楽しい時間を過ごせたし、ミャンマーからだけではなく、みんなからも貴重な学びを得ることができました。ぼくの方からみんなに伝えたいのは、体験を自分の言葉で書き留めておくことの大切さです。
どんなに大きな感動を味わったとしても、時間が経てばその感動も記憶も薄れていきます。残念ながら、これは紛れもない事実です。
でも、そのときの感情や考えたことを書き留めておけば、またいつでも思い出すことができます。今はよくわからなったとしても、何年か後、きっとそのことの価値に気付く瞬間が訪れるはずです。
人に評価されるために書く必要はまったくなくて、感じたことをありのままに書けばOKです。ぼくがここに書いたことも、個人的に思ったことに過ぎないし、正しいことでもありません。感じることは人それぞれ違います。誰にも見せなくていいし、手書きでもSNSでもいいので、ぜひ忘れないうちに記録に残してみることをおすすめします。
そしてもしできたら、感じたことを人と共有することで、広い視野、多角的な視点を養ってほしいです。それが自分の学生時代の反省でもあります。