ある日の朝のこと。駅まで歩く途中、引越し屋さんがトラックの荷台の中で作業をしていて、手が滑ったらしく、箱がひとつ、横を歩いていたぼくの近くに落ちてきた。おじさんはそれを拾おうとトラックを降りようとしていたけど、「あ、拾いますよ」と言って手渡した。「ありがとうございます」と言われた。
渋谷に向かう電車の中、用賀から乗ってきたおじいさんに席を譲った。「ありがとうございます」と言われた。
渋谷から東急百貨店に向かって歩いている道で、突然強風が吹き、靴下専門店が店外に出していたソックスが、大量に吹っ飛んだ。行き交う人は、みんな見て見ぬふりでそのまま通行。ぼくもそうなりかけたけど、いや、と思い、すぐお店の中に入って、店員さんに「風で外のソックスが飛んじゃってますよ」と知らせて、一緒に拾った。「すみません、ありがとうございます」と言われた。
一連のことで、とても気分が良くなった。考えてみれば、普段過ごしている中で、家族や知り合いと過ごしているときやお店を利用するとき以外で、「ありがとうございます」と言われる機会って、どれくらいあるだろうか。多分、ほとんどない。
その日、ぼくに「ありがとうございます」と言ってくださった人たちは、全員知らない人だ。知らない人同士が、感謝の言葉を言い合う世界。これは素晴らしいことだと思う。とても良い気分になれるものだから。別に些細なことだけど、お礼を言われたら、「やってよかったな」と思える。その自己肯定感や自信が、次の善き行いにきっとつながる。
その後、東急百貨店の書店で、『面倒だから、しよう』という本を偶然見つけ、本の帯の言葉に感銘を受けた。
「しようか、どうしようか迷ってもいい。でも、そこで、自分の怠け心と闘った時に、初めて、本当の美しさ、自分らしさが生まれてくるのだと思う」
さらに、本の中に、マザー・テレサの言葉が紹介されていた。
「自分がしていることは、一滴の水のように小さなことかもしれないが、この一滴なしに大海は成り立たないのですよ」
「自分は、いわゆる偉大なことはできないが、小さなことのひとつひとつに、大きな愛をこめることはできます」
こういう些細なことに、愛を込めて生きよう。面倒だからこそ、しよう。