年に1回は、風邪を引く。
元気なときは、書きたいことが頭の中にどんどん浮かんでくるものだけど、疲れているときや体調が悪いときは、なかなか文章が出てこない。
他人の頭を覗いたことはないけれど、人と比べて多感な方かもしれない。ひとつひとつの体験や些細な出来事から、いつもたくさんのことを感じて、ただそれを文章にしている。
だけど体調を崩すと、その感受性が鈍る。インタビュー記事などを別にすれば、ぼくは感じたことを文章にしているだけなので、感じることがないと、文章も書けなくなる。
これは少し、恐ろしいことだ。ぼくの場合、「文章で食べていく」ということは、「感受性で食べていく」ということだから。だとしたら、「いかに感受性を高めるか」を考えなくてはいけない。体調管理は最低条件として、さらに感受性を高めていくにはどうしたらいいのかだろうか。
ここで思い出すのは、1901年生まれの数学者・岡潔さんの『春風夏雨』というエッセイだ。
彼は世界的な数学者として活躍しただけでなく、随筆家としてたくさんの作品を遺した。彼の感受性の高さは、この本の最初の文章から容易に汲み取れた。
「人の情緒は固有のメロディーで、その中に流れと彩りと輝きがある。そのメロディーがいきいきしていると、生命の緑の芽も青々としている。そんな人には、何を見ても深い彩りや輝きの中に見えるだろう。ところがこの芽が色あせてきたり、枯れてしまったりする人がある。そんな人には枯野のようにしか見えないだろう。これが物質主義者と呼ばれている人たちである。生命の緑の芽の青々とした人なら、冬枯れの野に大根畑を見れば、あそこに生命があるとすぐにわかる。生命が生命を認識するのである。こうした人にはまた、真善美が実在することもわかる。しかし物質主義者には決してわからない」
彼の言う「メロディー」は、「感受性」に置き換えてもいいだろう。さらに、彼はこう続けている。
「子供には、絶えずきれいな水を注いでやることであろう。きれいな水というのは、たとえば先人たちの残した学問、芸術、身を以て行った善行、人の世の美しい物語、こうしたいろいろの良いもののこと。教育というのは、ものの良さが本当にわかるようにするのが第一義ではなかろうか」
感受性を高めるには、たくさんの良質なものにふれることだと言う。
そういえば、兼高かおるさんも言っていた。
「小中高の先生方は、夏休みの何十日か世界一周をして、自分の目で世界の風土と人を見てもらいたいのです。そういうことができるように、旅行会社が協力してくださるとありがたいと思います。それは、日本のため、世界のためでもあるのです」
教育者が世界を知ること、見聞を深めることは、とても大切なことだ。「生徒が海外留学をしたい」と言ってきたとき、自分に海外経験があるかないかで、対応はまるっきり変わってくる気がする。話の行間から、教養が溢れ出てくるような先生、「きれいな水」を注いであげられる先生が増えたら、きっと子供たちはよりいきいきとした「メロディー」を奏でてくれるだろう。様々なメロディーが調和して、日本から美しい音楽が流れてほしい。
「人の情緒は固有のメロディーで、その中に流れと彩りと輝きがある」
この言葉、ふとしたときに思い出したい。
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