「ツール・ド・西日本」が始まった。
目指すは九州。ぼくは自転車のフロントバッグに一冊の地図帳を入れ、横須賀を飛び出した。初日に箱根の山を越え、静岡県富士市までやってきた。走行距離は136km、まずまずだ。テントも積んでいたけど、宿泊はほとんど漫画喫茶だった。でも漫画は一冊も読んでいない。
毎日毎日、35~40℃とかの、うだるような暑さのなか、必死に自転車を漕いでいった。一日に10リットルくらいスポーツドリンクを飲んだ。それでも飲んだらすぐに汗として出ていくので、トイレはほとんど行かなかった。2日目で浜松まで行き、3日目で愛知県に入った。はじめの5日間は全身の筋肉痛とサドルによるお尻の痛さが強烈で、泣きそうだった。6日目以降は慣れてきて楽になった。
町と町の間が、どのようにつながっているのか。それは自転車旅だからこそ味わえる楽しみだった。また走行中、気になった場所があれば、ふらっと寄り道ができるのも自転車旅の良さだった。たまたま見つけた岐阜県の「養老の滝」は素晴らしかった。寄り道は旅の醍醐味だと思った。
4日目 彦根
5日目 京都
6日目 兵庫
7日目 姫路
8日目 岡山
9日目 福山
10日目 広島
11日目 岩国
12日目 山口
そして横須賀を出発して13日目、ついにこの日がやってきた。目の前に見えたのは、本州と九州とを結ぶ、関門大橋だった。
自宅の玄関を開けると、小さな道がある。その道は、紛れもなく、この九州まで、一本の連続する線でつながっていた。当たり前のことだ。でも、その当たり前のことが、確かな実感として得られた。自転車は、寝ながら漕ぐことができないから、ぼくは横須賀から九州まで、すべての道を、この目で見てきたことになる。そしてわかった。地図は正しかった。伊能忠敬はすごい人だった。感動は静かに、じわじわと訪れた。
福岡に突入したぼくは、そのまま反時計回りで九州を一周し、さらに四国へと渡った。松山では、たまたま知り合った小学校の先生に、「ぜひ貴重な旅の話を子どもたちに聞かせてあげてください」と言われ、飛び入りで「ようこそ先輩」さながらの授業を行った。
「みんなは、50メートル走を走ったことあるはあるかな?」
「はーい!」
「おれ8秒台!」
「お兄さんは、神奈川県からここまで来るのに、50メートル走を50万回走ってきました」
「ええーーー!!!!?」
そして今治と尾道を結ぶしまなみ海道を渡り、広島まで戻った。そこで、ちょうど旅の期間として決めていた1カ月が経った。できれば横須賀まで自転車で戻りたかったけど、その後の予定もあったので、旅はそこで終わりだ。自転車を分解して輪行袋に入れ、広島からは新幹線で新横浜まで帰ってきた。自転車で10日間もかかった距離なのに、新幹線だと約4時間で着いて、悲しくなった。こうしてツール・ド・西日本は幕を閉じた。
30日間で、2700kmを走った。日本の全長に近い距離を、自分の力で走ったことになる。日本の大きさが、知識としてではなく、身体の感覚として刻み込まれたことは、大きな財産だと思った。この感覚ばかりは、どんなお金持ちにも買えないものだから。
忘れられない思い出もある。
長崎県、天草諸島で立ち寄ったラーメン屋。店を開けると、「わりぃ、今日はもうスープがなくなっちまった」と言われた。そうでしたか、と立ち去ろうとするぼくを、店主が止めた。
「ちょっと待て、おめえさん、そんな自転車で、どこから来た?」
「神奈川県の横須賀からです」
「はぁ・・・・・ちょっと、待ってろ」
そういって、ビニール袋いっぱいに、カボスとチョコレートを入れてきて、渡してくれた。
「疲れたときは、カボスが効くから。気ぃつけてけよ~」
都会で育ったぼくには、そんな親切が、信じられないほど新鮮で、衝撃的だった。日本人はなんて温かいんだ、なんて優しいんだ。
様々な人との出会いや驚きの体験があり、そして数えきれないほどの親切を受けた。場所も聞いた。食べ物ももらった。相談もした。泊めてもらった。迎えに来てくれた。
それまでは、人に頼らないで生きるのが立派な人間になることだと思っていた。けど、まったく逆だった。人の助けを受けながら、そして困っている人を助けながら生きていくのが、人の世なんだと知った。だから今度は、ぼくが周りの人たちに親切にする番。そう思えただけでも良い旅だった。
実はこの旅が始まるのと同時に、ぼくは両親や友人への報告のためにブログを開設していた。今日は何km走ってここまでやってきた。こんな親切なおじさんと出会った。こんな素敵な場所があった。そんなことを、ただただ書いていた。そのうち、自分の知らない人までブログを読んでくれるようになった。「今日も頑張ってください」そんな些細なコメントが嬉しかった。
長旅を終えた次の日、自宅でパソコンを開くと、知らない女性から、一通のメッセージが届いていた。
「実はあなたのブログを読んでいました」
そんなひと言から始まる、見知らぬ女性からのメッセージは、ぼくの価値観を変え、そして人生までをも、変えることになった。