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登山家・栗城史多さんの死に思うこと(2)「気持ちの変化に向き合う」

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一度「これが自分のやりたいことだ」「私の夢は◯◯です」と宣言して、人にも応援されたりすると、仮に途中でやりたいことが変わったとしても、切り替えづらくなります。たとえ気が変わっても、自分に嘘をついてしまう可能性がある。そうならないように気をつけたいところ。大切なのは「今」心からやりたいことの方です。

これは友人の悩みを聞いていてよく感じることですが、栗城さんの一件でも同様のことを思いました。

栗城さんが自身の掲げた目標に対してどう感じていたのか、実際のところは本人にしかわかりません。ただ、かれこれ10年近く同じ挑戦を繰り返していました。

毎回スポンサーもついていたし、挑戦を重ねるごとにプレッシャーは増していたはず。本音を言いづらい面もあったんじゃないかと感じます。

いつかは登頂に成功するだろうと思っていました。でも先に亡くなってしまった。後の祭りだけど、ぼくの正直な気持ちは、早く登頂に成功して、命の危険の伴う登山からは遠ざかってほしかった。。2012年以降は指も失っての挑戦。冷静に考えれば、普通じゃない。

栗城さんほどの人間であれば、登山とは別のチャレンジもきっとできただろうし、まだまだ多くの人に勇気を与えられたはず。アイデアの豊かな方でした。あまりにも惜しい。

見ているこちらは、仮に栗城さんが登山を諦めたとしても、変な話、どうでもよかった。死ぬよりは全然マシだし、もし気が変わったとしたら、素直に新しいことに挑戦してほしかったし、それを応援したかった。

その点、ぼくがすごいなと思うのは、箱根駅伝で「山の神」と呼ばれた柏原竜二さん。あの人は実業団を引退して、今は自ら進んで富士通アメフト部のマネージャーに転身しています。「箱根駅伝であれだけ活躍したのに何をやっているんだ」「もったいない」などの周囲の声も気にせず、心からやりたいことに第二の人生を賭けたことに敬服するばかり。悲壮感はまったく漂ってなくて、むしろ新しいチャレンジに生き生きとしていました。

だけど実際問題、当事者はそんなに気軽に考えを変えられません。人を巻き込んだ分だけ縛られます。支援者から見れば栗城さんとの関係は1対1だけど、栗城さんから見たら1対10万かもしれない。みんなから期待されている。応援されている。そのプレッシャー、責任感、使命感は外野には到底計り知れないものがあります。簡単に「やめたい」なんて言えないですよね。

無理をしていたのかどうかは知らないし、本音は当人にしかわかりません。だけど、もしも自分の周りで「この人、無理しているんじゃないかな」と思ったら、迷わず声をかけてあげたいです。たとえ思い過ごしだったとしても。無理しなくていいんだよ、と言ってあげたい。こっちはそんなに気にしてないんだから。

栗城さんが心に無理を感じておらず、成功を信じ、挑戦することが目的化していなかったことを願いたいです。。

つづく

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