ブログ

ワセオケの思い出

投稿日:2018年3月6日 更新日:

2007年春、早稲田大学 創造理工学部に入学した私は、様々なサークルの新歓(新入生歓迎会)を回っていました。

「ワセオケの見学にも行ってみたら?」

と言ったのは、12歳離れた兄でした。96年に入団した兄は同楽団のフルート&ピッコロ奏者として、1998年のワールドツアーと2000年のヨーロッパツアーに参加しました。

1998年、ワセオケがニューヨークのカーネギーホールで演奏したとき、小学4年生だった私は、両親と一緒に客席から聴いていました。寝てしまっていたのか、兄の演奏は全く覚えていないのですが、アンコール曲の八木節と和太鼓奏者の姿は強く印象に残っていて、子どもながらに「かっこいいなあ」と思いました。それが運命の始まりでした。

初めてワセオケの練習を見学した際、ベートーベンの交響曲第2番を聴きながら「これが本当に大学生の演奏なのか」と驚嘆しました。さらに信じられないことに、大学から楽器を始めたという団員も多くいました。

小さい頃にピアノを習っていた以外、楽器は未経験。ただ、クラシック音楽が好きだったことと、大学で新しい何かに挑戦してみたかったことがきっかけで、オーボエ奏者として入団を決めました。

週3日の全体練習に加え、ほぼ毎日の個人練習。少しでも早く経験者の技量に追いつきたいという一心で、ストイックに楽器の練習に励みました。

状況がガラリと変わったのは、入団から一年が経とうとしていた2008年3月頃。「一年後に迫るヨーロッパツアー2009での和太鼓奏者を、叩現役の団員から募集する」という話があり、興味を持ちました。

あの日カーネギーホールで目にした和太鼓奏者の姿が忘れられず、「ヨーロッパで和太鼓を叩きたい」と思い、オーボエから離れて、ひたすら和太鼓の練習に明け暮れました。

当初は拍子もロクに数えられないほどの素人でしたが、経験豊富な先輩方の指導に恵まれ、徹底的に基礎練習に取り組むことで、最後は自信を持ってヨーロッパでの本番に臨むことができました。目指していた水準が高いだけに、うまくいかず悩むこともありましたが、ワセオケで過ごした日々は人生の貴重な糧になっています。

余談ですが、大学卒業後に旅行会社でツアー添乗員になったのは、ワセオケの影響で海外旅行が好きになったことと、ヨーロッパで和太鼓を叩いた経験が面接で買われたことが大きな理由です。そして、私が所属していたという背景もあり、今では会社のニューイヤーコンサートで毎年ワセオケが演奏してくれています。

-ブログ
-

執筆者:

関連記事

ライター(兼モデル)として、ユニクロとお仕事することになりました!

昨年末にユニクロの方からご連絡をいただき、1月からお仕事でご一緒できることになりました! 担当者の方が、ぼくが昨秋NewsPicksのランキングで総合1位になったのを見てくれていたそうで、その実績も信 …

人事を論ぜんと欲せばまず地理を見よ

山口県・萩へ行ってきた。 この町に住む人々は、誰もが吉田松陰のことを「松陰先生」と呼ぶ。 「ほかの県では松陰先生と呼ばないんですか?」 小さい頃からそう育ってきたから、それを当たり前のことだと思ってい …

食について思い出す、3つのエピソード

-01- 高校生のときだったか、大学生のときだったか、忘れてしまったけど、あるとき友人から、「(中学の同級生の)◯◯が亡くなった」という話を聞いた。確か、何かの病気だったと思う。ぼくは同じクラスでもな …

「見せかけの挑戦なんてやめちまえ!」自ら負けにいく覚悟

2日前にも書いたのですが、今度の土曜日に、自転車で熱海まで走ろうと思っていました。 「どこか温泉へ行きたいな」と思ったのが、最初の発想でした。 はじめに浮かんだのは、「箱根へ行く」という選択肢でしたが …

【ツール・ド・クラフトビール 第2ステージ】沼津のゲストは、この旅にピッタリの方

アメリカ人Danさんと、クラフトビールを巡る自転車旅! ツール・ド・クラフトビール 第2ステージ 茅ヶ崎 〜 箱根 〜 沼津 70km 旅の経緯と概要はこちら! 2日目は快晴。今日はDanさんがプレゼ …