2007年春、早稲田大学 創造理工学部に入学した私は、様々なサークルの新歓(新入生歓迎会)を回っていました。
「ワセオケの見学にも行ってみたら?」
と言ったのは、12歳離れた兄でした。96年に入団した兄は同楽団のフルート&ピッコロ奏者として、1998年のワールドツアーと2000年のヨーロッパツアーに参加しました。
1998年、ワセオケがニューヨークのカーネギーホールで演奏したとき、小学4年生だった私は、両親と一緒に客席から聴いていました。寝てしまっていたのか、兄の演奏は全く覚えていないのですが、アンコール曲の八木節と和太鼓奏者の姿は強く印象に残っていて、子どもながらに「かっこいいなあ」と思いました。それが運命の始まりでした。
初めてワセオケの練習を見学した際、ベートーベンの交響曲第2番を聴きながら「これが本当に大学生の演奏なのか」と驚嘆しました。さらに信じられないことに、大学から楽器を始めたという団員も多くいました。
小さい頃にピアノを習っていた以外、楽器は未経験。ただ、クラシック音楽が好きだったことと、大学で新しい何かに挑戦してみたかったことがきっかけで、オーボエ奏者として入団を決めました。
週3日の全体練習に加え、ほぼ毎日の個人練習。少しでも早く経験者の技量に追いつきたいという一心で、ストイックに楽器の練習に励みました。
状況がガラリと変わったのは、入団から一年が経とうとしていた2008年3月頃。「一年後に迫るヨーロッパツアー2009での和太鼓奏者を、叩現役の団員から募集する」という話があり、興味を持ちました。
あの日カーネギーホールで目にした和太鼓奏者の姿が忘れられず、「ヨーロッパで和太鼓を叩きたい」と思い、オーボエから離れて、ひたすら和太鼓の練習に明け暮れました。
当初は拍子もロクに数えられないほどの素人でしたが、経験豊富な先輩方の指導に恵まれ、徹底的に基礎練習に取り組むことで、最後は自信を持ってヨーロッパでの本番に臨むことができました。目指していた水準が高いだけに、うまくいかず悩むこともありましたが、ワセオケで過ごした日々は人生の貴重な糧になっています。
余談ですが、大学卒業後に旅行会社でツアー添乗員になったのは、ワセオケの影響で海外旅行が好きになったことと、ヨーロッパで和太鼓を叩いた経験が面接で買われたことが大きな理由です。そして、私が所属していたという背景もあり、今では会社のニューイヤーコンサートで毎年ワセオケが演奏してくれています。