不思議と様々な人に助けられたり、応援してもらえたり、絶好のタイミングで必要な情報を与えられたりと、不思議とラッキーなことがたくさん起こる。
みんながみんな、そうなのだろうか。いや、自分はとくに恵まれている気がする。何か理由があるのだとすれば、いったい自分のどんな性質が、人にそうさせるんだろうか。ずっと疑問に思っていた。
それを考えるヒントが、この本にあった。
ゆっくり、いそげ ~カフェからはじめる人を手段化しない経済~
大和書房
売り上げランキング: 14,825
著者の影山さんは、西国分寺のカフェ「クルミドコーヒー」の店長。本にはこのお店での事例と、ユニークな考察が紹介されている。
「クルミドコーヒー」では数年前から、プロを目指す若手音楽家を呼んで、コンサートを開いている。当初影山さんは、このコンサートの代金をあえて設定せず、「投げ銭」システムを採用していた。つまり、値段はコンサートを聴いたお客さんが自分で決めるという仕組みだ。
一応の金額の目安として、1500円という額をお客さんに伝えていたが、もちろん目安なので、それより多くてもいいし、少なくてもいい。
いざ開催してみると、ほとんどの人が、1500円よりも多い額を支払ってくれた。これを受けて影山さんは、「ほらな」と思った。「投げ銭システムはうまくいった」と。しかし、後になってから、このやり方が失敗だったと気付されたという。ここからの考察がおもしろい。
その後、何が起きたかというと、第2回、第3回と、定期的にコンサートを開いていったのだが、いつもお客さんが満席にならない。音楽のクオリティも悪くないし、参加者はいつも「すごく良いコンサートだった」と喜んでくれる。それなのに、なぜ毎回満席にならないのか、影山さんは疑問に思った。満足されているのに、リピート率が低いのはなぜなのか。
そして半年が経ち、あることに気付いた。
「ああ、毎回毎回、”清算”されてしまっていたんだ」
たとえば、定価1500円のコンサートでいい時間を過ごしたあと、そこに金額以上の価値をお客さんが感じていれば、それは帰り道の余韻につながり、「前向きな負債感」となって、次回の参加動機や口コミなどにつながっていくかもしれない。
しかし、そこでプラス500円(人によってはそれ以上)を支払ってしまうとすれば、そうした気持ちはその場で清算されてしまう。つまり、お客さんはお店に対して「負債ゼロ」の状態になる。すると、「なんだかこの金額でこんな良い思いして悪いな。またお店に来なくちゃな」という気持ちが呼び起こされなくなる。
「交換を等価にしてしまってはダメなのです」
と影山さんは言う。
「不平等な交換だからこそ、多く受け取ったと感じる側が、その負債感を解消すべく次なる『贈る行為』への動機を抱きます。こうした前向きな負債感の集積こそが、財務諸表には載ることのないお店の価値になります」
そして、コンサートの代金を定額にしてからは、月3回開催するほど、順調に成長していった。
なるほどな、と思った。
ここで冒頭の話に戻る。もしかしたらぼくは日々、様々な形で、周囲の人たちに「前向きな負債感」を与えているのかもしれない。
それは主に、Facebookやブログでの投稿で。自分が体験したことや、出会った人の魅力などを、日々発信している。読む人によっては、お金を払うだけの価値を感じてくれている人もいるかもしれないが、すべて無料で提供している。
提供といっても、人によっては煩わしく感じることもあるだろうし、迷惑に感じている人もきっといるはずだ。でも少なくとも一部の人たちには、喜ばれているという感触があるし、実際に感謝の気持ちを伝えていただくこともある。
そうした日々の情報発信が、読み手の方々の「前向きな負債感」の集積となって、
「ユニークな人がいるから紹介するよ」
「こんなイベントあるからよかったらおいでよ」
「ご招待します」
「この本読んでみてください」
と、様々な人から「お返し」をいただいているのかもしれない。
「不平等な交換」が与える、「前向きな負債感」
簡単に言えば、あれだ。おばあちゃんがよく言う、「いつも悪いわね〜」だ。あの気持ちが、何かしらの行為として返ってくるのだ。だから、「いつも悪いわね〜」とたくさんの人に言われるようなことをしたら勝ち。
前向きな負債感を与えること。何かの折に思い出すといいかもしれない。
ゆっくり、いそげ ~カフェからはじめる人を手段化しない経済~
大和書房
売り上げランキング: 14,825