何度も読み返したい日記

才能は悔しさの中にある

投稿日:2015年11月28日 更新日:

「悔しさを感じろ」と言われたときに、すごく違和感を覚えた。

やること全てに対して悔しさを感じられる人はすごいなあと思うけど、ぼくはそうじゃない。負けたり、失敗しても、悔しさを感じないことがある。そういうときに、「悔しさを感じろ」と強要されると、胃が痛くなる。

でも、頻度は少ないけど、全く悔しさを感じないわけでもない。これまでの人生で、心から「ちくしょう!」って思った経験ってなんだろうか、と考えてみたら、思い当たるエピソードが2つあった。

ひとつは、大学3年生のとき、「自転車で九州まで旅する」と友人に言ったら、「無理に決まってるじゃん」と言われたこと。やってもいない人に、どうして「無理に決まってる」と言われなきゃいけないんだと、悔しかった。絶対やってやろうという力になった。

もうひとつは、高校生のとき。サッカー部の練習が辛くて、ぼくは半年で部活を辞めてしまった。それで、周りから「洋太は根性がない」と思われることが、すごく嫌だった。実際に、ぼくは根性がなかった。でも、そう思われることに対する悔しさが、すごく大きかった。

だから、部活を辞めたときに、ひとつの目標を持った。ぼくの高校では、毎年一回、全校で行われる5kmの持久走大会があった。その持久走で、サッカー部員に勝ちたいと思った。

ぼくはスタミナがなかったから、放課後、毎日のように走り続けた。10kmとか、長いときは15km走った。今でも高校の思い出といえば、ひとりで走っていたときの記憶が一番強く残っている。「負けを認めるのは悔しいから、一年後の持久走で勝ちたい」その気持ちがぼくを動かしていた。

結果は、学年で5位。1,2位は陸上部、3,4位はサッカー部、5位は帰宅部のぼくだった。部活をやっていたときには圧倒的に遅かったぼくが、努力して、結果を残せたことが、すごく嬉しくて、その後も走ることが好きになった。些細なことかもしれないけど、その体験が今に繋がっている。道に迷う楽しさや、知らない道を走る楽しさを覚えたのはそのときで、その後の自転車旅に発展した。

根底には、常に「人を驚かせたい」という欲求がある。それが何故なのかなと、昔から疑問に思っていたけど、この2つのエピソードから気付いたことがある。

ぼくの場合、人に決めつけられることに対する悔しさが、人一倍強いのではないか。「洋太にはできない」「洋太はこういう奴だ」と決めつけられる悔しさが、「人を驚かせたい」「不可能と思われることを成し遂げたい」というエネルギーに転化しているのかもしれない。それがバイタリティーの源なんじゃないか。

何に悔しさを感じるかは、多分、人によって異なる。でもだからこそ、悔しさを感じることの中に、その人の才能が眠っているのだと思う。

-何度も読み返したい日記

執筆者:


comment

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

関連記事

諦めないという「選択」

2010年の西ヨーロッパ一周自転車旅の際に協賛してくださった源奈々さんが、今回の旅でもカンパしてくださった。先ほど感謝を伝えたら、こんな返信をいただいた。 「もう一度こんな日が来るなんてね。それがどん …

人の評価を気にする時間って、何ひとつ生み出していないよね。

書くことを仕事にしているからか、自分の文章には人一倍の愛情を持っています。だから、書いたものは人に見せたくなるし、人の評価をすごく気にします。 人に見せるまではいいんです。そのために書いているんだから …

前向きな想いは、誰の背中も引っ張らない

ぼくのもとには、何かしらの「想い」を持っている人たちが集まってくる。これまで、たくさんの人の想いにふれて感じたのは、強い想いは、人を前向きにさせ、人に元気を与えるということ。 そしてもうひとつ。前向き …

もうちょっとできると思っていた

大手外資系企業に勤めていた仲の良い友人が、数年前に会社を辞めて、ひとりで事業を始めた。素晴らしく優秀で、ガッツのある男だった。 それからしばらく経って、久しぶりに会ったときに、 「ひとりで仕事を始めて …

ホームで踊る女の子が教えてくれたこと

電車を待っている間、中学生くらいの女の子が、ホームで踊っていた。真剣な目で、何度も何度も同じ動きを繰り返していた。音楽を聴きながら、振り付けを確認しているようだった。このあと、ダンスの練習があるのか、 …