2日前にも書いたのですが、今度の土曜日に、自転車で熱海まで走ろうと思っていました。
「どこか温泉へ行きたいな」と思ったのが、最初の発想でした。
はじめに浮かんだのは、「箱根へ行く」という選択肢でしたが、「今の自分には箱根の山登りなんて無理だ」とハッキリわかっていたので、無難に熱海にしておこうと考えました。ずっと平坦な道だけど、熱海でも100kmあるし、まあいいだろうと。
しかし、昨日のブログを書きながら、「さて、それでいいのだろうか」という疑問が頭の中に湧いてきました。
「自分の限界を知りたい」とかカッコつけたことを言いながら、「無難に熱海」では、限界もクソもない。全然挑戦していないじゃないか。
「熱海まで走りましたー!」
と言えば、確かにロードバイクに乗らない人からしたら、「すごいですね!」ってなるかもしれない。
でも、できるとわかっていることをやって、「挑戦しました!」なんて、そんなの
「クズじゃないか」
もうひとりの自分が、騒ぎ始めました。
「見せかけの挑戦なんてやめちまえ! 挑戦というのは、世間の評価や他人の目を基準にするものではなくて、自分自身の中に基準を持つものだ」
前橋まで110km走れた自分からしたら、熱海まで走ることを「挑戦」とは呼べません。
逆に、世間的には大したことではなかったとしても、自分自身が「できるかわからない」「無理かもしれないけど、やってみよう」そういう気持ちでいるなら、それは挑戦と呼べるでしょう。
「洋太、箱根に挑戦してみろよ」
「でも、今のぼくには最後まで登れないよ。一番体力のあったときでさえ、左右の脚が6カ所つりながら、ようやく登れたくらいの坂道だったんだから」
「できないことに全力で取り組むことこそ、今のお前には必要なんだ。最近、できるとわかっていることしかやってないだろう」
「・・・」
「途中で『もう無理』となってもいいから。今の自分には、どこまで行けて、どこから先は行けないのか、その境界線を知ることができたら、きっと清々しい体験になる。今の自分のMAXを試してみろよ」
よし、決めました。熱海はやめて、箱根の山登りに、挑戦してみます。きっと最後まで登れないけど、それでもいい。自転車を押して歩いてでも、ゴールまで辿り着こう。前のめりに倒れよう。正々堂々と負けよう。
「熱海で勝つよりも、箱根で負けるよ」
「その方が、ずっとずっとカッコいい」
自ら負けにいき、今の限界を知ること。その覚悟がきっと、自分をその先の舞台へと進めてくれる。
挑戦は続く。