先日、ヘアーアーティストの京極琉さんにインタビューする機会に恵まれました。
上海出身の琉さんは、お母さんの仕事の関係で、12歳のときから東京で暮らしています。中学に入るも、日本語がまったくわからず、早々に「中国に帰りたい」と懇願したものの、祖国のおばあちゃんが「戻ってくるな」と認めなかったそうです。「中国でのし上がるのは大変。だけど、日本で頑張ればチャンスがある」と言って。
「アーティストになりたい」
と高校生の頃から思っていました。歌手に憧れたけど、プロになれるほどの才能はない。ダンスもやっていたけど、いつか身体は衰える。琉さんは、「生涯現役で活躍できるアーティスト」になりたかった。
選んだのが、「Hair Artist」という職業でした。
「ファッションデザイナーの人は、自分がデザインした服が、実際に着られている場面をなかなか見られない。だけどこの仕事は、お客様の笑顔を直接見られる。そこが好き」
成人式や結婚式をはじめ、人のライフイベントに関わり、 幸せを後押しできるこの仕事に、誇りと喜びを感じています。
高校卒業後、国際理容美容専門学校に入学。日中は銀座のサロンで研修、夜は専門学校の授業という生活を続け、実践的な技術を習得しました。サロン研修で痛感したのは、圧倒的な言葉の壁でした。将来美容師として独立するためにも、技術とともにコミュニケーション能力を磨かなくてはいけないと自覚し、日本語の勉強に初めて本格的に着手しました。
「日本のお笑い番組を観ながら、話していることをメモしたり、テロップを読んだり。それがすごく勉強になりました」
今では、まったく支障のないレベルで日本語を話せます。それどころか、持ち前の愛嬌により、コミュニケーション能力が武器になっているようにすら感じます。
「言葉の壁を乗り越えたときに、世界が全然違って見えました。すごく可能性が広がった」
専門学校を卒業後、銀座のサロンのほか、美容業界での広い経験を積むため、ヘアーカット専門店にも勤め技術を磨きました。
2016年には国際的に通用する技術を学ぶために、美容のトレンドを発信するロンドンに渡り、Vidal Sassoon Academy, TONI & GUY Academy , SANRIZZ Academy を卒業。2016春夏London Fashion Week、2016-17秋冬London Fashion Week Men’s にてHair担当を務めるなど、ロンドンの第一線で活躍。
また、ロンドン滞在中の作品は『Vogue Italia』をはじめ、 『Atlas Magazine』『Factice Magazine』『Flanelle Magazine』 『Hunger TV』『Lone Wolf』など多数ファッション雑誌に掲載されました。
今年1月、帰国してすぐに挑んだ、和楽が主催する「CUT & STYLING CONTEST」のカットモデル部門で2年連続の優勝を果たします。それだけでなく、この数年間で多くのコンテストでの受賞歴を持っています。
それで、まだ22歳です。
「今は、東京で自分のお店をオープンするための準備をしています。ロンドンに行ってみて、日本の美容技術は世界でも十分に通用するとわかりました。日本はクリエイティブで負けてないぞ、ということを、世界に発信していきたいです」
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