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2019年の振り返り

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様々な方に励まされ、支えていただいた一年でした。先にお礼を言わせていただきます。本当にありがとうございました!

時期で振り返る

1月〜3月 仕事してた

・仕事は順調だったけど、ゆっくりする余裕がなかった。ソフトバンクのメディアの編集と、それ以外にも2〜3の仕事を並行していて、土日も原稿書いたりいっぱいいっぱいだった記憶。
・2月頃から、謎の蕁麻疹や痒みが強く出始めていて、かなり辛かった。ソフトバンクのオフィスの冷凍庫に保冷剤を入れて、常に身体を冷やしながら仕事してた。きっと奇妙な目で見られていたに違いない。皮膚科へ行っても効かない軟膏を処方されるだけ。まだ大変な病気だとはわかっていなかった。
・ありがたいことに毎週のように新しい仕事の相談がきて、でもこのままだと身体がやばいなと思った。ちょうどその頃『1日3時間だけ働いておだやかに暮らすための思考法』という本の中で、「人生の意味を創造に変えるためのひとつの方法として、ニートとして1〜2年、名実ともに生産を放棄する期間を設けてみる」という一文があり、強く共感した。ちょっと仕事を見直したくて、春から仕事を減らそうと思っていた。
・3月、フットサルをしたら蕁麻疹が出て、サウナへ行ったら汗が出ないことに気付いた。これは絶対におかしいと、必死にネット検索して病名を探した。

4月〜8月 仕事してない

・検査の結果、「特発性後天性全身性無汗症」という難病だと判明。全身の97%から汗が出ない重い症状なのに、「良かった、これで仕事休めるな」とちょっとホッとしていた。
・とはいえ、2回入院しても全く良くならないから、かなり不安になった。初夏、症状は想像を絶する辛さで、家から駅まで徒歩3分なのに、なかなかたどり着けない。太陽の光を浴びるだけで猛烈な痒みと蕁麻疹に襲われるため、「日陰しか歩けない縛り」という小学生低学年の遊びのようなことをやっていた31歳(無職)
・常に保冷剤を持ち歩く日々。外に行くだけで辛くて、流石に人生辛いわ。。。と精神的にやばかった。ハイライトは2kgのロックアイスを抱きしめながら耐えたBUMP OF CHICKENのライブ(感動と辛さで涙)
・もう一生、旅行や運動もできない人生かもしれないと覚悟した。いっそ絵描きにでもなるかと、小さな画材道具を買って数枚絵を描いてみたけど小学生レベルでなおさら絶望。
・それでも前向きに生きようと思い、とにかく本を読みまくることにした。涼しいところで本を読んでいることならできた。
・中国の歴史物語にハマり、ひたすら読んでいた。キングダムの元ネタにもなっている物語『史記』を書いた司馬遷は、男根を切除される刑に遭い、「死んだ方がマシだろう」と思うような絶望の淵にあっても、使命感から中国の歴史を書き続けた。「それに比べたら自分なんて」という気持ちになり、今できることをやろうと思った。

・毎日近所のマックにこもり、100冊以上の本を読んだ。計り知れない学びを得た。特にオススメの本はこちらにまとめました。
・7月末、3度目の入院後、わずかだが半年以上ぶりに汗が出た。とにかく嬉しかった。
・それから汗を出し続けるため、月150kmほどランニングをして、薬なしでほぼ通常の生活ができるまでに回復した。

9月〜12月 仕事してた

・未だに完治はしていないものの、普通に仕事はできている。9月からはDialpadなど少しずつ仕事を再開していった。
・新たに朝日新聞デジタルでの連載が決まり、リクルートからも英語学習の仕事をもらえた。どちらの仕事も楽しんでいる。モデルの仕事も新鮮!
・あまり無理をすると身体が怖いから、まだほどほどに抑えて仕事している。
・朝活「Breakfast Meeting」は年間54回開催できた。継続できたことはひとつの成果。

ざっくり総括

今日でフリーランスとして丸3年を迎えた。フリーランスは不安定というが、まさにその通りで、うまくいっている時期とうまくいかない時期の差が大きく、ジェットコースターのような3年間だった。

今年は特に病気もあって、ひたすら「耐えの一年」だった。働けなくて、入院でお金も急速になくなっていくから、精神的にも経済的にもギリギリだった。最悪の状況は免れてよかった。

とはいえ、耐えてただけでもなかった。読書により様々なことを学べたし、Breakfast Meetingという新たな習慣が生まれた。朝日新聞デジタルで連載できたことで、ライターとしても箔がついてきた。改めて自分を見つめ直す時間にもなった。

自己理解について

最近、自己理解が深まった。

ぼくが会社員を辞めてフリーランスライターになった時点では、「自分は書くことが向いているのだろう」というざっくりとした認識だった。

それが一年前の時点では、「自分は本当に、書くことが向いているのだろうか?」になった。色んな「書く仕事」をやってきて、同じ「書く」でも、楽しいことと、作業のように感じてしまうことの両方があるなと気付いた。

そして今はより明確な認識になった。

「ぼくは、自分の感じた違和感や気付きや偏愛を言語化するのが向いている」

ヒントになったのは、年末に読んだ『ハウ・トゥ アート・シンキング』という本だった。

・人には可塑性があり、訓練すれば色んなことができるようになる。
・しかし、スキルや能力など後から「できる」ようになった特徴は、「自分」本来の特質ではない。
・「自分」固有の特質は、どうしても変えることの「できない」部分の方。
・それを仕事に生かすべきだ。

(『ハウ・トゥ アート・シンキング』より)

という内容の話があり、途端に、「ぼくがブログで文章を書くようになった以前についやってしまっていたこと」の中に、何かヒントがあるのではないかと思い、考えてみた。というのも、ライティング能力は、大学時代にブログを始めたことがきっかけで、書き続けるうちに獲得したスキルだから。

自分としてはそう認識していたのだけど、過去を振り返るなかで、思っていたのと違う発見があった。書く以前から、ぼくは言語化していたのだ。

高校生の頃、放課後よくひとりで15kmくらいランニングをしていた。そのとき、自分の中にある感情やモヤモヤしたものを整理したくて、毎日のように走っていたことを思い出した。

当時は「書く」ことが得意だとも思ってなかったから、ほとんど書いていなかった。それよりも、走ることでモヤモヤがスッキリすることに気付き、「体力をつけるため」とかではなく、病気の人が薬を飲むようなニュアンスで、ぼくは走っていた。感情を収めるために。

その習慣は大学生になっても変わらず、よく授業をサボってまでランニングしていた。「今日は走らないと無理。授業休む」みたいな感じで。

当時は自分がやっていることの意味がよくわかっていなかったけど、今ならわかる。ぼくは「書くこと」で感情を言語化して整理できることにまだ気付いていなくて、その代わりの手段として走りながら頭の中で言語化して発散していた。だから村上春樹の『走ることについて語るときに僕の語ること』を読んだときは深く共感できた。

そのうち、mixiで日記を書くようになった。周囲の友達はほとんど日記を書かないのに、ぼくは異常なほどに投稿していて、「変わっている」と言われ、自分でも「変なヤツなんだろうか」と悩んだ。どうしても、日々の出来事やそこから感じたことを書かずにはいられなかった。

そして大学3年の夏の自転車旅がきっかけで、ブログを開設。思っていることを書くだけで評価され、一年後に学生ブログランキングで1位になった。就職後も毎日ひたすら書きまくり、文章力を磨いた。

こうして経緯を辿ってみて、ぼくは「書くこと全般」がやりたいわけではないのだなと気付いた。スキルとしては書けても、自分の特質を強く生かせるのは、やはり「自分の感じた違和感や気付きや偏愛を言語化する」ことのはず。なぜなら、それを小さい頃から誰よりもやり続けてきたから。

中学生の時、テストや成績のための文章ではない、ぼくが思ったことを書いた文章というのは、卒業文集くらいしか思い浮かばない。でもそこに書いていることが、やっぱりそうだった。「気付く」ことの大切さを話していた。

中学時代に何を考えていたか、あまり記憶がないけど、既に違和感を頭の中で言語化するプロセスを踏んでいたのだと思う。

高校の時の、時々書いていたノートも実家で読み返したけど、ちょっと普通じゃなかった。自分の感じた違和感や気付きばかり、グチャグチャと書き殴っていた。この言語化のプロセスこそが自分の特質。

この類の文章を書いても、すぐにはお金にならないことも、ライター経験の中で知っている。ただ、記事としてバズったり、多くの人の共感を集めたのもこの類の記事だったということも知っている。

だから、ぼくにとってこの類の文章を書くことはとても大切だし、たとえお金にならないとしても、読者にとって何かしらの価値を与えられるものだという確信がある。

「アートは常に変化し、既知の価値を壊しながら他にはない「自分」だけの価値を生む活動です。ゆえにアートは、生まれた時点では価値を理解されません。どんなにすぐれた作品であっても、既存の枠組みでは評価できず、ゴミのように扱われることがあります。しかしこの「分からない」ものは、それが提示する視点を社会が理解するにつれ、徐々に価値を上げていきます」

(『ハウ・トゥ アート・シンキング』より)

今はまだ、これで稼ごうと思わない方がいい。稼ぐのは一旦別のことでいい。その代わり、たとえお金にならなくても「自分の感じた違和感や気付きや偏愛を言語化する」ことは続けたい。ゴッホの絵の価値が彼の死後に理解されたように、ぼくがお金のためではなく情熱に突き動かされて書く文章も、そういうものかもしれないと思っている。自分が書かないで誰が書くんだ、という使命感を大切にしたい。『史記』を書いた司馬遷のように。

こんなところで、今年の振り返りとまとめを終わります。

皆さま、今年も温かく支えてくださりありがとうございました!特に病気でご心配おかけしました。お見舞いに来てくださった方々に感謝!

2020年も試行錯誤しながら、頑張っていきます!たくさん本を読み、人と会い、できれば旅もしたい。様々な仕事にチャレンジする中で、さらに自己理解を深め、世の中に貢献していきたいです。

2月以降は少し仕事に余裕ができそうなので、何か面白そうな案件あればお願いします!

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